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へそが揺れて大地震の予兆か

渋川出身の役者渋川清彦が主演の映画「榎田貿易堂」をシネマテーク高崎という映画館で観た帰り、ちょうど渋川にさしかかった時にけたたましく地震警報が鳴った。車を運転していたので、まったく揺れを感じることもなかったので、たいしたことないのだろうと思っていたら、震度五弱だからけっこう揺れたたしい。元々、この辺は、あまり地震のあるとことではないので、渋川が震源と聞いて驚いた。

そういえば、映画の中で榎田貿易堂の看板から突然、夏の字が落ちて「何かが起こる予感」とか主人公が言うシーンがあったが、この言葉は何かを暗示しているのかもしれない。特にこの夏は、注意する必要がありそうだ。なぜなら、渋川は、日本のへそといわれているので、中心が動くということは、全体が揺れるスイッチが入ったことのサインかもと思ったからだ。

地元で撮った映画を観るといつも行き着けの場所がでてたりして、けっこう楽しめる。このシーンの場所は、どこかと探すのも面白い。榛名山の真っ直ぐな道もでてたし、最後の方で毎週言っている眺めのいいそば畑がでて来たので、「そうそうここの眺めはいいんだよな、さすが地元出身だけあってわかっているじゃないか」と思い喜んだ。去年のお正月に初日の出を見に行ったら、けっこうたくさんの人がきていたので、いつの間にか地元では有名になっていたのかもしれない。

梅雨が身体に入る

昨日来た患者さん。ここの所、どうも調子が悪い。昨日は、久しぶりにめまいがすると言って治療に来た。その前は、胃の調子が悪いと言って来たし、梅雨になってからどうも調子が悪いようだ。胃の調子が悪い時は、背中を押すち消化不良のすえた気の感覚が伝わって来た。さすがに今回はそれはなかったが、下腹部の冷えがあり、左足の踵の内側の腎臓系のつぼを痛がったが、何度も何度の肘を使って施術した。

すると今日は、左の耳の穴の中が温かいと言って不思議がった。そして、「きっと梅雨が身体に入っちゃったんですね。」と言って笑った。治療が終わって帰るころには、すっかりめまいも治まって、しっかりとした足取りで元気になって車へと向かって行った。

梅雨だと言うのに昨日、今日は意外と湿度が低くさわやかな風が吹いている。最近は、気象のパターンが変わってしまって、予測しずらくなって、ついつい身体の調子が悪くなってしまうことが多い。こういう時は、外の気象だけでなく、身体の中を流れる気も乱れて体調を崩しやすいので、寝るときには、冷えが身体に入らないように十分注意することが大切だ。

心臓の中心から蜂蜜のように甘いエネルギーが湧き上がる

3日ぐらい前になるだろうか。ちょうど怒りのエネルギーが消えかかった頃に、心臓の中心から甘露(甘い蜂蜜のようなエネルギー)が湧き上がって、非常に気持ちよくなった。今でも心臓に意識を置けば感じることができるのだが、その時のが強烈に喜びを感じた。

正しく怒りを克服した神仏からのご褒美だったのだろうか。怒りを爆発させずに収めれば、心も身体も喜びに包まれるのだろう。心臓の中が怒りのエネルギーで満たされている時は、顔もこわばり動作もぎこちなくなって、苦しく少し悲しい感じだったが、うまくそれを乗り切れば、心は喜びに満たされる。

悟りというのは、ただ無になることのように捉えられているが、実際は、そんな味気ないものではなく、活き活きとしてエネルギーに満ち溢れ、しかも甘い蜂蜜のような愛のエネルギーのわきあがるものなのではないだろうか。インドの聖者に会うとプラサードと言って甘いお菓子をもらうことがあるが、それはプラサードによって、悟りの甘いとろける様な喜びを教えようとして配っているのではないかと思う。これこそ何物にも変えがたい喜びと言えるだろう。

怒りは、エネルギーである

この間の日曜日、家族で「OVER DRIVE」を観にいって来た。ちょうどカンヌ映画祭で賞を取ったという「万引き家族」をやっていたが、映画を観たら子供が万引きしてしまったでは、洒落にならないので止めておいた。「OVER DRIVE」は、メカニックの兄とドライバーの弟のラリーでの葛藤を描いた映画だが、映像的にきれいで迫力もあり、なかなかいい映画だった。

弟役の体つきは空手でもやっていたのかなと思って観ていたが、後で聞いたら真剣佑と言って千葉真一の息子と知って納得した。ちょうど先週、ちょっとした問題があって、怒りが胸の辺りに溜まっていたのだが、映画を観た後にはかなりすっきりとして解消していた。映画の登場人物が本気で怒りを爆発し合うことで、観ている観客の怒りも浄化されて消えていくのだろう。映画館は、心の浄化装置なのだ。

今回、自分の怒りを見つめていて、怒りというのは、エネルギーだということをつくづく感じた。ちょうど心臓の辺りに怒りのエネルギーが充満してなかなか収まりが付かなかった。考えてみれば、この怒りのエネルギーこそがすべての災いの元なのかもしれない。それは、破壊のエネルギーで、外に向かえば、人を殺したり戦争を引き起こし、うちに向かえば、心と身体を痛め、うつなどの精神的な病気や心臓病などの肉体的な病気も引き起こす。今回、そう気づいたので、前腕の内側の心臓に関係したつぼに針を打って、そちらに怒りのエネルギーを誘導してみた。すでにある程度収まった後だったが、それなりに効いたような気がする。怒りのエネルギーを生命エネルギーである気として捉えれば、針での治療の対象になるのかもしれない。

いずれにしても、いかに怒りのエネルギーを解消するかということが、個人にとって社会にとっても大切なことと言えるだろう。

治療の価値とは

先日、久しぶりに治療に来た患者さん。なんでも業を払うと言って体をひっかく治療に行って来たと言った。はじめは一回3万円だったのだが、次にわざわざ友達を誘って遠くの街まで行ったら、突然10万円と言われたそうだ。しかたないので二人で20万円払って帰って来たという。

その患者さんが、達磨大師の絵を見て、やはりそのような物があったと言ったので、祭壇に飾ってある石の破片を取って「これは達磨大師が座禅をした洞窟の石だよ。以前、中国の少林寺に行った時に洞窟まで行って、拾って来たんだよ。」と言って渡した。そして、「まあ、そうして高い治療代を払うのもいいけど、本当の気力ってのは、自分の内側から沸きあがって来るんだから、般若心経を毎日100回唱えた方が、気力も運気も上がるんじゃないの。」と付け加えた。

人は、いつも遠くに素晴らしい物があるとあこがれる。しかし、本当に素晴らしいものは、今ここにいる自分自身の中にあるものだ。わざわざ高い電車賃を払って遠くに行かなくとも、繰り返し繰り返し般若心経を唱え続けるだけでも、身体の中心から気が湧きあがり、元気がいっぱいに満たされてくるものだ。薬師堂の治療代は、3千円でもう30年以上同じ値段で続けている。本当は、6千円ぐらいもらってもいいのではと思うこともあるが、半分は皆さんのために奉仕しているつもりでこの値段に設定している。また、3という数字にも意味があると思うし、患者さんも払いやすいのではないかと思っている。治療の価値は、その値段にあるのではなく、相手のことを気遣う優しさの中にこそあるのだと思う。