いくらが消えた日

この間の日曜日、太田のペットセンターでオキナインコの餌を買っての帰り道、お袋と息子の三人でかっぱ寿司に寄った。その時、子供がいくらを食べていいかと聞いてきた。あれ、いくらって何だっけと思った。まったくその形状も味も思い出せなかった。なんか黄色いものだったような気が漠然とするだけだった。いくらという概念が、すっぽりと頭の中から、抜け落ちていた。慌てて、メニュウからいくらを探して見てみたら、それは黄色ではなく、オレンジ色の魚の卵の軍艦巻きだった。

物忘れというよりも、概念がすっぽり抜け落ちてしまったことが、面白かった。このようにして、悟りの瞬間は、すべて概念が、頭の中かれ消え去ってしまうのだろうか。それを怖れではなく、喜びそのものになると言うことだろう。無駄な心配はいらない。今まで、自分を縛り付けてきた常識や既成概念は、苦しみの元であって、喜びとは関係ないのだから。

先日、近くにある防災ダムに行ったら、かもたちが逆立ちして餌を採っていた。ただ見過ごしてしまえばそれまでだが、こうしてかものブレイクダンスとして見れば、実にユーモラスで面白い。日常も違う観点から見れば、活き活きと生き返ってくるということだろう。同じように物を忘れると言うことも、こういて捉えれば実に素晴らしい経験となる。

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