すべては流れ来たり流れ去るものなり

今日も朝から般若心経を唱えながら瞑想した。するとこんな言葉が降りてきた「すべては流れ来たり流れ去るものなり」。人や物あらゆる物が、一時的に自分の所に来るが、それらは時間の経過と共にやがては流れ去って、消えていってしまう。「無い物をあると錯覚して、それに執着することで苦しみが生まれる」。最近、年をとるに従って、昔出会った人たちとの関係も消えてきてしまった。特に東京など遠くにいる友達との関係が消え去ってゆく。おそらくもう二度と会うこともないだろうし、それを懐かしむ自分自身が消えてゆきつつなるのだから、それも自然の流れなのだろう。

すべてが流れ去ってしまっても、最後に残る物があるとすれば、それが本当の自分だ。あるいは、それも流れ去ったゆくのか。「吸う」「吐く」「吸う」「吐く」、呼吸だけが残ってゆく。しだいに深い意識に落ちながら。こうして深く自分の内面に入るのは、久しぶりの気がする。これからは、外の出来事、意識の海の海面にある波の動きにその焦点を合わせること無く、深く海底にある充足と喜びに帰ることを忘れずに行こうと思う。

 

 

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