カルマとは

Gazou_058

カルマは、日本語でいうと業とでもいうのだろうか。元々は単に行為を意味する言葉のようだが、その行為の結果のこともカルマというようである。原因と結果の因果の法則にのとって、良い行いをすれば、いい結果を受け取り、悪い行いをすれば、悪い結果を受け取り、苦しみの原因となると考えられている。上の写真の麦の色もカルマの結果といえるだろう。エゴを消して精神的に高まって行けば、麦のように金色に輝くこともできるのだろう。収穫期になると、なぜこうした見事な色で輝くのか、実に不思議なことだ。

道元禅師の言葉にも、善悪の報に三時あり、一つには順現報受、二つには、順次生受、三つには、順後次受とあるが、インドでもカルマを三つに分けるようである。

以下にまた、「あるがままに」から引用してみよう。

1,サンチタ・カルマ 前生から積まれてきたカルマの蓄え。
2,ブラーラブタ・カルマ サンチタ・カルマの一部で現世で清算されなければならないもの。カルマの法則は人間の活動における決定論を意味するため、プラーラブタはしばしば運命と訳されている。
3,アーガミー・カルマ 現世で積まれた新しいカルマ、この一部が来生に持ち込まれる。

質問者:この身体が終わるまで続くと言われているプラーラブタ・カルマを、身体が存在するうちに克服することができるでしょうか。
マハリシ:できる。カルマは、身体と真我の間に生じた自我と呼ばれる行為者に依存してる。
自我がその源の中に溶けて姿を消してしまえば、それに依存しているカルマも生き残ることはできない。それゆえ、「私」がないところにカルマもない。

質問者:プラーラブタ・カルマは、前世から積まれてきたカルマの小さなひとかけらにすぎないと言われています。これは本当なのでしょうか。
マハリシ:人は前世で多くのカルマを積んできたかもしれない。そのなかのわずかのものだけが、この生のために選ばれ、人はその結果を現世で味わうことになる。それはちょうどスライドの展示会で、投影する人がショーにだすスライドだけを選び取り、残りのスライドは次のショーのためにとっておくようなものである。これらのカルマはすべて、真我の知識をうることによって破壊される。過去の体験の結果であるカルマがスライドであり、心が投影機である。その投影機が破壊されなければならない。そうすれば、これ以上の投影はなく、これ以上の誕生も死もないだろう。

誰もが、真我に到達するというのは、無理なような気がする。しかし、こうした知識に立脚した社会を作ることは可能だろう。そうすれば、この世の矛盾も混乱も収まり、安定した平和で豊かな社会を作ることができるように思う。

以上「あるがままに」から引用

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