止めるということ

Gazou_firework173

アテネ、北京と4冠を達成した北島康介選手は、すでに北京に入る時から、一抹の寂しさを感じていたという。それは、夢みることを「止めることの難しさと寂しさ」を表しているかもしれない。どんなにいい夢も覚める時がくる。日本人にとっても彼にとっても最高の夢の舞台もそれが達成された瞬間に終わりを迎えようとしている。最終的には、誰もがすべての幻想から離れていつか目覚める運命にあるといえるだろう。

やはり、ガンガジの言葉から「止めることの力」というのを引用してみよう。

自己探求とは、あなたをどこかへ連れて行ってくれることではありません。それは、あなたをその行程の途中で立ち止まらせ、自分自身で、直接、あなたが誰であるかを発見させてくれる道のことです

止めることの力を言葉で説明することはできません。止めることができたその瞬間、そこにはどんな概念もなく、けれども意識があります概念を持たない意識というのは、当然、自由です。それは、一瞬にして自ら明らかになります。私たちは普段、概念に従うことをあまりにも教え込まされているため、意識そのものも概念化しようとします。意識が存在するために概念も必要ないということに気づくその永遠の一瞬、概念と自己の同一視は忘れ去られます。これは必要不可欠な経験です。」

以上ガンガジ著「ポケットの中のダイヤモンド」より引用

幻想から目覚め、夢見ることを止めるというのは、とても難しい。夢から覚めたと思ってもまた、違う夢をみているのに似ている。何度も何度も夢のなかで覚める夢を見て、ついにすべての概念が無くなった時にやっと夢から覚めることができるのだろう。

最近のスピリチャルブームというのもほとんどが現実という夢を精神という夢に置き換えているだけだ。アセンションとかいう言葉も2012年と言う言葉も結局は一つの夢でしかない。そうした夢想をすることを止めるということは、実に難しい。それは、この世がすべて夢想によって突き動かされているせいだろうか。ただ、覚めるといことが、実に簡単でいかに難しいか。それは、概念をこえなければならないのに言葉という概念を使うことでしか伝達することができないという矛盾に由来している。それに対して音楽や気功などの気による交流は、直接的にエネルギーで交流できるので、そうした過ちを犯す可能性が少ないと言えるかもしれない。

 

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