自由意志と運命について

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さらに続けて要約して引用してみよう。

質問者:人の人生における顕著なできごとが、カルマによってすでに決定しているのはわかりますが、人生の取るに足らない些細なことにいたるまで決定されているのでしょうか。
マハリシもちろんだ。なんであれ、この身体がすること、そして、何であれそれが通り抜ける体験は、その身体が存在を現した時にすでに決定されているのである。

質問者:それでは、人の自由や彼の行為にたいする責任はどうなるのでしょうか。
マハリシ人が手にできる唯一の自由とは、努力をしてジュニャーニを得ることである。それが彼と身体との同一化を断ち切る。身体はプラーラプダによって宿命づけられた、避けることのできない行為を通り抜けて行くだろう。人は身体と彼自身を同一視し、その身体の報いに執着するか、あるいはそれから離れ、身体の活動の単なる目撃者となるか、という選択の自由だけをもっている。

この世の人生は、舞台の上の人生と同じようにすでに脚本があり、決定しているという。ただし、舞台で演じているのとは違い、身体を通して実際に体験すると喜びも悲しみ苦しみも非常に強く感じる。能の世界では、「離見の見」と言って、ある役を演じつつも外側からその演じている自分を見ているということが大切と言われている。実際の人生においても、ざまざまな出来事に対して、巻き込まれることなく冷静に外側から自分を見つめる目が必要だろう。そうすれば、苦しみや悲しみに落ち込むことなく、正しい選択を通じて、永遠の喜びの中にとけ込む選択をすることができるよになるだろう。

 

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