自由意志は、存在するのか
自由意志について、また、「あるがまま」から引用してみうう。
質問者:現在の状態は、過去のカルマによると言われています。私たちは、今、自由意志によって過去のカルマを超えることができるのでしょうか。
マハリシ:現在とは、なんなのか、それを見てみなさい。もし、そうするなら、何が過去や未来をもち、それらに影響されるのか、何が永遠に存在し、何が常に自由なのか、そして、何が過去や未来やカルマに影響をされずにとどまるものなのかを、あなたは理解するだろう。
質問者:自由意志とは、存在するのでしょうか。
マハリシ:誰の意志だろうか。行為者である感覚があるかぎり、それを楽しむ感覚と自由意志の感覚は、存在するだろう。だが、もしこの感覚がヴァイチャーラ(真我探求)の修練によって失われたなら、聖なる神の意志が働いて、出来事の流れを導いてくれるだろう。ジュナーニによって運命は克服される。真我の知識は、自由意志も運命も超えているからである。
私が行為しているという感覚があるかぎり、自由になにかを決めているという感覚はあるが、その行為の結果としての果実である喜びや悲しみ、苦しみを受け取らざるを得ないが、もし、そうした感覚が真我を実現することで失われれば、物事は自然と神の意志にしたがって流れて行き、苦しみや悲しみから解放されると言っているのだろう。
真我に焦点を合わせるということは、回転する木馬の中心に座るように、絶対の平安の中に安住し、ただ、すべてを眺めているということだろうか。そのような心境にいたれば、運命に左右されることもなく、自由とか不自由とか問題にすることもないのだろう。
アンマを見ていると、生き生きとして、子供のように純粋で活動的で、ただ座っているだけが聖者ではないということがよくわかる。