輪廻転生は、あるのか、ないのか。
久しぶりにラマナ・マナリシの本が帰ってきたので少し読み進んでいる。その中に、輪廻転生についての記
述があるので紹介してみます。
質問者:輪廻転生は真実でしょうか。
マハリシ:無知が存在するかぎり輪廻転生は存在する。本当は、輪廻転生などまったく存在しない、いまも、いままでも、これからも、これが真理である。
実に明確な答えだ。こうした明快さが、ラナマ・マハリシのすばらしいところだ。昔、禅と太極拳の師匠にこのことを聞いたところ、なんだかわかったようなわかないよな答えをいただいた。その辺のところが、仏教では曖昧なのだろうか。その辺の質問があるので引用してみます。
質問者:仏教の見解には、個人の魂という概念に一致した転生する実態は存在しません。これは正しいのでしょうか。これは、輪廻転生する自我というヒンドゥー教の概念と一致するのでしょうか。魂とは、ヒンドゥー教の教義が示すように、何度も何度も生まれ変わる実体なのでしょうか、それともそれは単なるサンスカーラ、精神的傾向の集合体にすぎないのでしょうか。
マハリシ:真我は永遠に存在し影響を受けない。転生する自我はより低い次元、つまり想念の次元に属している。それは真我実現によって超越されるのである。
輪廻転生は、ヒンドゥー教の偽りの分派による概念である。それゆえ、それは仏教徒によって否定された。現状における無知は、意識(チット)と生命のない身体(ジャダ)の同一視によるものである。
質問者:私は輪廻転生からまぬかれるように試みるべきではありませんか?
マハリシ:そのとうりだ。いったいだれが生まれ、誰が今、現在の問題を抱えているのかを見いだしなさい。眠っている時、あなたはあなたの輪廻転生や現在の生について考えるだろうか。それゆえどこから現在の問題が生じたのかを見いだしなさい。そこにあなたは解決を見つけるだろう。あなたは誕生も現在の問題も、不幸も存在しないことを発見するだろう。真我がすべてであり、すべてが至福である。今でさえ、我々は輪廻転生に対して自由なのだ。なぜ、それについて嘆き悲しむのか。
以上「あるがままに」ラマナ・マハリシとの対話より引用
チベット仏教では、転生仏がいて、彼らは、生まれ変わると言う。実際に悟りが継続しているかどうかが問題だろうが。なかには生まれ変わりが二人いてもめているところもある。真我を悟るということからすると、少し無理がある考え方なのかもしれない。
その点、ラマナ・マハリシの説明は、簡潔である。だれもが、今この瞬間に輪廻転生から自由になることができるし、実際は自由だと言ってくれている。この本の表紙にある彼の澄んだ目がすべてを語っていてくれている。