死の恐れを取り除く

先日、実家でお袋を指圧しながらテレビを見ていたら、ポルタガイストの特集をやっていた。ビデオカメラ移った現象の中に白っぽかったり、黒っぽいエネルギー体のような者が映っていた。私たちは通常こういうシーンを見るとぞ~とするように刷り込まれているのだが、よ~く考えてみると死んでもエネルギー体としても自分という者が存在し続けることができることの証明で、むしろ、喜ぶべきことなのではないかと思う。

「死」の恐怖の中には、自分という存在が完全に無くなってしまうのではないかという恐怖があると思うのだが、流れる命としてのエネルギー体は残ると思えば、この恐怖もなくなるのではないだろうか。そして、この生命エネルギーを増やす、鍛えることが非常に重要だということがわかれば、こ社会のあり様も生きることの目的も変わって来る。戦争でわざわざ人や国を破壊する必要もないし、人より多くの物を独占して、人を支配する必要もなくなる。

もうすぐお盆が来る。うちは去年、親父が亡くなったので、新盆だ。お寺は、今年新盆の檀家の人をまとめて供養するという。そして、その後お墓にお迎えにゆく。しかし、肉体が無くなって自由なエネルギーとしての存在になった時にわざわざ狭苦しい墓の中にいるのだろうか。自分を肉体と混同した結果がこうした風習になっているのだろうか。本来、生死の真理を明らかにすべき坊さんが、いつまでもこうした無知につけんでいることにも違和感がある。本来ならば、命には終わりはなく、「死」を恐れる必要はまったく無いということを説くのが彼らの仕事ではないだろうか。

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