世も末

9月は、梅雨よりも雨が続き、十月になっても気持ちのいい秋晴れの日がやってこない。この天候不順で体調を崩してしまう人も多いのではないだろうか。自分自身も数日前までの湿気の高さに汗ばかり出て閉口した。やっと気温は下がってきたが、やはりすっきりとした青空は戻ってこない。昨日スパーの屋上でようやく撮った青空がこの写真だ。

この間は、ニュースで僧侶が、妻と子供を殺して首を切ったという事件の報道を見た。このニュースを聞いていよいよ「世も末」だなと思った。本来、出家は家族を捨てて家をでて、悟りを得るために修行に専念した生き方をするという意味なのだろうが。この僧侶は、妻帯し子供まで作って、しかも殺生を犯し、さらにむごいことに首まで切り落としてしまった。お釈迦様がこれを見たら、なんと言うだろうか。まさに末法の世が来たと言うのだろうか。

ネットで「末法」について調べると、不作と疾病がはびこり、税金も重くなる。しかも道理に合わない税のかけ方をするようになると書いてあった。来年は、消費税もまた上がるし、ガソリンでは二重課税が平然と行われ、まったく道理にかなっていないと腹が立つがどうにもならない。さらに男子の寿命は短くなり、女子は逆に100歳まで長生きするようになると書いてある。そして、富めるものも貧しい者も洪水に流された魚の餌となるとも書いてある。東日本大震災の津波の被害や今年の夏の西日本豪雨などの被害を見れば、まったくその通りになっていると思える。

このようになんだか希望の持てない時代になってしまったが、ふとこんな言葉が降りてきた。「時代の先端ではなく、存在の中心にどっぷりと居座って生きる。」こんな時代だからこそ、外の目まぐるしい変化に目を向けるのではなく、自分の内側に目をやって、瞑想し、自分の中心の意識の焦点を当て、すべての中心と一つになるような時間を持つことが大切になってくるのだと思う。そうすれば、時代の激流に翻弄されるともなく、安心して生活することができるのだと思う。

 

 

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