拈華微笑(ねんげみしょう)

Miyogi3_1107

拈華微笑(ねんげみしょう)とは、あまり聞き慣れない言葉だが、インターネットで調べたらおおよそ以下のようなことであるらしい。

お釈迦様が、涅槃の時に聴衆の一人が睡蓮を捧げたところ、釈尊は黙ってそれを受け取り、拈って(ひね)って大衆に示したという。ほとんどの人がその意図をがわからなかったが、迦葉尊者だけがそれを理解して微笑んだという。これを拈華微笑(ねんげみしょう)というらしい。そこで釈尊は、「正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相、微妙の法門あり。不立文字、教外別伝にしてマカ迦葉に伝わる」といったという。つまり、仏が悟った深遠微妙の法門は、経綸、言辞によらず、ただちに以心伝心をもってまか迦葉に伝わったということらしい。

これが禅宗の起こったはじまりということらしい。そういう意味では、この言葉は非常に重要なようだ。以前にも書いたが、インドではこのことをディクシャというらしい。要するに伝授ということだ。イニシィエイションとかアチューメントとか、そのほかにもいろいろと言い方はあるだろう。だが、言葉にはよろず、その体験を直接、相手に伝えるということは、とても難しい。

今週も、前に気功の後にいっしょに瞑想した生徒さんと話をした。その後、熱を出して寝込んだということだが、おかげで心にしこっていたものがすっかり溶けてでたようで、普通に暮らしていても自然と笑みがこぼれてくるようだと語っていた。

 気功や瞑想で感じている自分の内面にある喜びをどうやって、みんなに伝えようかと思っているが、こうして共に瞑想することで直接受け取ってくれる人もいると思うと、実にありがいのものだ。

 ここでいう微笑みとは、内面からこぼれ出るような喜びのことではないだろうか。見事な蓮の華は、外にではなく、それぞれの内面に咲いている。

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