海に溶ける

Umi0076016

「青い海」の気功は、動きながら次第にイメージのなかで意識の海にとけ込んで行くが、それと同じよう表現を聖者の言葉のなかに見出すことがある。真我は、我々の生命の故郷である海にたとえることができるということだろう。

やはり、ガンガジの言葉の中にも海の表現を見出すことができる。

人はみな誰も、自己の真の姿である意識の海の中を、裸になって泳ぐことができます。真の自己とあなたという自我は違います。本当の自己とは、あなたの知性、肉体を内包し、それなしには何ものも存在しえず、同時に無限で、ありがたいことに、あなたが努力せずとも存在します。ありがたい、という意味は、もし、それが存在するためにあなたが必要だとしたら、あなたはそれを確立し、保持し、それが死んでしまわないようにするために、膨大な努力をしなければならないからです。一般的に、人は一度自己の甘い蜜を味わってしまうと、そうやって忙しく努力を始めます。・・・・中略・・・・

あなたの真の姿が、あなたという個々の自我をほんの一瞬でも貫き、個々の自我とは別の存在として、自我の源としての姿を現すことがある、という事実は、あなたの理性を圧倒します。すると理性は大概、忙しく活動を始めます。絶対的な畏怖の念を感じたその瞬間を再現しようとしたり、それを保持し、理解しようとしたり、あるいはそれに献身しよとしたりーつまり何かをしよととするのです。理性は最初から常にここにあるものを「確保」しよとあの手この手をつくし、それが、理解を求める理性の働きを助長させます。そして、ある日、個別の意識には終わりがやってきます。真実のあなたを手に入れるためのどんな努力もするのを止め、常にここに存在する、純粋な意識の甘い蜜の中で、ただじっとしていること。それは、今、あなたが生きている人生において、いつも可能なことなのです。」

以上ガンガジ著「ポケットの中のダイヤモンド」より引用

「青い海」の気功の目指すところは、まさにここにあります。それは、動きの中でしだいに意識の海に溶けて行き、すべてを忘れて浄化し、すべての努力や行為を放棄し、常に存在する純粋な意識の甘い蜜のなかにただじっとしてる状態へと帰って行くことです。ただ、永遠に存在する至福の海の喜びのなかに広がり、たゆたうことにあります。

この段階では、個別の意識に終わりがやってくるというように、これは集団でやる気功です。クジラの声に入った音楽を聴きながらしだいに参加している人たちの意識が一つにとけてエネルギーの場、集団の気場ができてゆきます。つまり、意識だけでなくエネルギーとしてもその場にとけ込んで行きます。うまくとけこんだ時の気持ち良さは格別です。この気功には、あまり鍛えるという要素はなく、どんな初心者でもすぐに参加すっることができます。ただ、思考を止めて、恐怖を手放し、しだいに自分を開き解放しれゆけばいいだけです。普通の人が、普通に覚りに近づける気功だと思います。

機会がありましたら、みなさんも是非、参加しれみてください。人数が集まれば、集まるほど気場が高まり、その効果は大きなものとなって行きます。

 

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