無音の音を聞き、無死の確信に生きる

この間の日曜日は、久しぶりに晴れて気持ちよい青空が広がった。朝から、治療室のベッドの上で瞑想していると、頭の中にシーンという無音の音がしだいに大きく響きだした。普段は、気にならない空間に響く小さな音が、瞑想をして思考と感情の動きが静まるとだんだんと大きな音となって聞こえてくる。だから、無と言ってもそれは何もないとうこを意味するのではなく、何もないということ状態があるのだ。同じように死と言っても、肉体からの解放は意味していても、それで何もかも失われしまうという訳ではない。

その何もないということを、命の元の状態のことを本来の自己と言ったり、純粋な意識と言ったり、仏、臨在と言ったりしている。こうして、毎日、般若心経を唱えたり、瞑想をしたりするのは、その何もないことに対する感受性と高め、無音の音を聞き、無死の命を確信するためだ。今回の水害でも残念ながら、たくさんの命が失われてしまった。また、コロナの感染で世界中では、たくさんの命が失われている。

しかし、日頃からこうした努力をすることで、心構えができていれば、その恐れや苦しみ悲しみも少しは楽になるだろう。そして、行を続けるうちにだんだんその痛みも薄れ、苦悩からも解放される時が来るだろう。だからこそ、日頃から、無音の音を聞き、無死の命を確信することに努めることが大切となる。昨日、久しぶりに来た患者さんが、般若心経を覚えるように毎日頑張っていて、3分の2ぐらいは覚えることができたと教えてくれた。そこまでくれば、もうすぐ全部覚えられますよと言って、この間作った「般若心経の易しい唱え方と覚え方」の動画を教えたあげた。これを見れば、わかりやすいのできっとすぐに全部覚えてくれると思う。そして、こうして般若心経仲間が増えることは、なによりの喜びだ。

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