身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ
「負けて参って任せて待つ」という言葉があるが、「自分が濁流に呑まれてしまったら、上に上がろうともがき苦しみむより、そのまま流れに身を任せていると自然と浮かび上がってくるものだ。」という話を患者さんにしたら、「実際にそうだでした。」と実感を持って話してくれた。その患者さんは、抑鬱状態から脱して、せっかく今までの職場に慣れて仕事が楽しく感じられるうよになって来た頃に移動を命じられて戸惑っていたのだが、自ら光りを出すようなつもりで暗い職場を明るく照らしていたら、自然と新しい職場もやや明るくなって、今は、ほっと息がつけるまでになったと喜んでいた。
職場で働いている人が仕事に出てくることができなくなってしまった時も、自分がそうなってしまった時の経験が生きて、いっしょになって相談にのり共感することで、また元気に仕事に出てくることができるようになったと言って喜んでいた。こうした状態は、滝から落ちて滝壺の縦渦に巻き込まれてしまったことに例えらるかもしれない。そうした渦に巻き込まれたら、いっしょになってぐるぐる回っているうちに二人とも浮き上がってきたと言えるかもしれない。まさに「身を捨ててこそ浮かぶ瀬も荒れ」だ。
それは、仕事上の上司と部下という立場で分断して考えるのではなく、相手も同じ悩みを抱える一人の人間として考える温かな対応から生まれた成果と言えるのだと思う。
自分の場合、最近は、親父ギャグ脳の働きを封印しているので、めっきり洒落が頭に浮かばなくなってしまったが、彼は、職場の女子の冷たい反応にもかかわらず、少しでも職場の雰囲気を明るくしようと奮闘努力して、受けないギャグを連発しているのだという。男の立場からするとなんとも涙ぐましい努力と恐れ入るのだが、残念ながら女性の反応は違うようだ。もしかしたら、男と女では、ギャグに対する脳の構造が違うのかもしれない。あまり、女性の脳は、ギャグとか洒落には反応しないようにできているようだ。
男の立場と女性の立場では、考え方、感じ方が違うので、いっしょに働くというのは大変なことだと思う。男の立場からすれば、「この世には、女性の数だけ問題がある」と感じるだろうし、女性の立場からすれば、同じように「この世には、男の数だけ問題がある。」と感じているのかもしれない。結局、お互いの違いを理解しつつお互いに歩み寄って協力して上手に働いていくしかないのだろう。
いずれにしても陰陽が調和してうまく回り始めたら、素晴らしい時代がやってくるのだと思う。