心臓の中心から蜂蜜のように甘いエネルギーが湧き上がる
3日ぐらい前になるだろうか。ちょうど怒りのエネルギーが消えかかった頃に、心臓の中心から甘露(甘い蜂蜜のようなエネルギー)が湧き上がって、非常に気持ちよくなった。今でも心臓に意識を置けば感じることができるのだが、その時のが強烈に喜びを感じた。
正しく怒りを克服した神仏からのご褒美だったのだろうか。怒りを爆発させずに収めれば、心も身体も喜びに包まれるのだろう。心臓の中が怒りのエネルギーで満たされている時は、顔もこわばり動作もぎこちなくなって、苦しく少し悲しい感じだったが、うまくそれを乗り切れば、心は喜びに満たされる。
悟りというのは、ただ無になることのように捉えられているが、実際は、そんな味気ないものではなく、活き活きとしてエネルギーに満ち溢れ、しかも甘い蜂蜜のような愛のエネルギーのわきあがるものなのではないだろうか。インドの聖者に会うとプラサードと言って甘いお菓子をもらうことがあるが、それはプラサードによって、悟りの甘いとろける様な喜びを教えようとして配っているのではないかと思う。これこそ何物にも変えがたい喜びと言えるだろう。