見えざる一鍼 鍼と禅から
以前書いた内容と同じようなことが、鍼の師匠の横田観風先生の「鍼と禅」という本に書いてあった。そこで再び引用したいと思います。
以下引用
(前略)
身体が病むのが先か?心を病むのが先か?このようなことを真面目に考えるようになったのも、鍼禅の道を歩んできたからかもしれません。
例えば大けがをして、生き抜くのが大変になったとか、老人になり身体が不自由になって思い通りにいかないとかは、もちろん身体が先ですが、とくに精神的修養を長く積んでこられた人を除いては、ほとんどの場合、先に精神的に悩み、その後に身体に影響が出てくるように感じます。
小学生の時はクラスで一番の成績で、両親から有名校への進学の期待をかけられ続けていたのに、中学校入学後には成績が落ちてくると学校に行きたくなくなり、ぐずぐず悩んでいるうちに朝起きられなくなり、登校拒否になってしまった人。
念願の市役所につとめることができ、最初のうちは楽な仕事で楽しかったが、部署が変わり、毎日市民の苦情に対応するのがストレスになり、十二指腸潰瘍になった人。(中略)
とにかく例をあげたらきりがないほどです。まずは心に悩みが生じ、それであれこれ考えているうちに夜眠れなくなり、しばらく続いていると、そのうち体の具合が悪くなってくる、そういったパターンの患者さんが多いのです。
そんな場合でも治療によって身体がよくなってゆくことで、心の持ち方を変えることができ、心身ともに元気になる人もおられるのですが、大多数の人は心の問題が解決しないまま、再び同じ状況に戻ることになり、いつまでぐずぐずと悩み苦しむ日々を送ることになってしまうのです。
そのような時、いやし手は、いったいどのような「見えざる一鍼」を下したらよいのか?これこそ答えのない公案であり、己れの人間性が問われることになり。いやし手自らが日々油断なく心の修行を続けて人間性を高め、境涯を深める生活を心がける必要性があるのだと思います。
以上引用終わり
以前書いたのは、マイナス思考が病気を引き起こすという内容だったので、今回の先生の文章「身体が病むのが先か?心を病むのが先か?」とは、ちょっとニュアンスが違いますが、マイナスの思考パターンによって心が病み、その結果として病気になると考えれば、同じことだとも言えます。「いやし手自らが日々油断なく心の修行を続けて人間性を高め、境涯を深める生活を心がける必要性がある」と言うのは、まさにその通りだと思い、自らも日々実践しています。がしかし、自分の場合は、般若心経を声を出して読むとか、「青い海」の気功をするとか、ヨガによって日々ストレッチをして身体を伸ばし柔軟性を保つとか、もっと具体的でだれでもわかりやすく、簡単に取り組めることを目指しています。修行と言うと堅苦しいですが、皆の心と体が楽になり、わくわくして毎日が楽しくなると言えば、分り易いのではないかと思います。