形あるものは壊れる
先日、渋川のゴミ焼却場に去年の秋に切った枝を捨てに行った時、財布を取り出したらスマホを落として画面が割れてしまった。スマホは、元々、壊れ易い物と思って安いものを買っていたが,それは日本の会社が作ったものでそれなりに気に入っていて大事に大事に使っていたので、一瞬の油断で壊してしまって実に残念な想いをした。しかし、何かとの別れは、こんな風にいつも突然訪れるものだ。そして、もしこれが人だったら、精神的なダメージは想像を絶するくらい辛いことになる。
ついこの間も崖の下を歩いていた子が、その土砂の下敷きになって亡くなられたが、その突然の喪失にご家族の胸中は察するに余りある。去年の東京の交通事故で、かわいい奥さんとお子さんを突然に亡くされた、ご主人の悲しみ苦しみも相当なものだろうし、それらの例をみるとこの世は、なんと理不尽で残酷なものかと思わずにはいられない。
今回、クルーズ船に乗って隔離されてしまった人たちもいるが、すでに大変な時代に突入してしまっているという認識が足りなかったのかもしれない。この世は、無常であり絶えず変化していて、外面的な良いこと楽しいことは、長続きしないものだ。それに対して内面にある本当の喜び、永遠の命に向かう道は、自分を裏切ることはない。「形あるもは、必ず壊れる」、それは自分たちの肉体も含めてだ。だから、普段から、いざという時に備えて、それに動揺しない自分を確立するよう努めることが大切なのではないかと思う。自分の場合は、般若心経2万1300回を越えて、身体の芯がますます強くなってきたことに喜びを感じている今日この頃で、ぜひたくさんの人に試してもらえればと思っている。