この世とは、ム~という響きのスクリーンに投影された三次元のドラマだ。

映画館に行くと、映写機がありフィルムを通過した光がスクリーンに投影されて、無地のスクリーンにドラマが展開する。それと同じようにこの世も、ム~という響きで満たされた三次元の空間に様々のドラマが展開している。しかし、そのすべてのドラマは、やがてはム~という原初の音の響きの中に帰り消えてゆく。普段、人は、目の前の物事しかみていない。特に何かの出来事に巻き込まれると、ますます視野が狭くなり、その状況から意識が離れなくなり、夜寝ても冷や汗が出て眠れなくなり、昼間も鬱々とした自分で過ごすことになる。そして、一晩で何キロも体重が落ちてしまう。

それは、まるで切れた錨の鎖を握って、海の底へ引きずり込まれていくようなものだ。錨は、物質や肉体などのこの世の象徴であり、それを握っているのは、自分自身だ。錨が離れようとすれば、するほどますます強く握りしめて、離さないようにしてしがみつく。するとますます不安と恐れの渦巻く奈落へと落ちてゆく。しかし、もしここでいったん錨から意識を離し、客席から舞台の出来事を眺めような気持ちになることができたならば、錨を握っているのは、自分自身でそれへの執着が、苦しみの原因だということに気がつくことができるだろう。

それに気づいたら、とりあえず錨を強く握っていた手を離す。「放てば手に満てり」という言葉があるように、一時的に喪失感や怒り、悲しみに囚われることもあるが、しだいに自由で解放された自分に気づくようになる。今までの苦しみの原因は、ない物をあると錯覚して間違って執着していたということに心の底からわかる時がくる。それが、般若心経の冒頭の句、「観自在菩薩、行深般若波羅多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄」の意味だ。誰もが、この三次元という透明な空間のスクリーンの上で、架空のドラマを演じているに過ぎないということに気がつけば、戦争や犯罪も憎しみも貧富の差もない、素晴らしい世の中を築くことができるのではないだろうか。

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