明日があるとは限らない(どんなに若かったとしても)
飼っているインコを不慮の事故により突然失いました。まだ生まれて一歳になるかならないかというところでした。鳥の場合は、こうした突然の別れというのは、よくあることなので、それなりに覚悟はできていました。それにしても、残念で時間が巻き戻せたらと思います。しかし、夢や映画の中では、可能であってもこの現実という世界では、それはできません。
最近のニュースを見ても、隣の国で大勢の若者が雑踏の中の圧死でなくなったり、(その中に日本人の女性が二人含まれていました)幼い子供がマンションから転落して亡くなったりと人においても突然の別れがいつおきてもおかしくありません。残された遺族の方の悲しみは、いかばかりのものか、また、その喪失感から立ち直ることができるのだろうかと心配になります。
自分は、そのために日頃から般若心経を唱えて心の備えをしていますが、そうした準備なしに、突然このようなショックを受けたら、いったいどうやってその悲しみから、立ち直ることができるのでしょうか。
般若心経では、この世は、倒錯した夢の世界だと言います。つまりは、夜、目を閉じて寝ながら見る夢と、昼間、目を開けて起きた状態で見る夢と二つの夢の間を行き来しているということで、しかも、この世の夢は倒錯していると言います。倒錯とは、逆立ち逆転しているということで、普段、自分だと思っているものが、実は本当の自分ではないという意味でもあるでしょう。たとえて言えば、映画のスクリーン上には、様々のドラマが展開しますが、映画が終わってライトがつけば、そこには真っ白なスクリーンだけが残るだけです。つまりそこに展開していたドラマはすべて幻で、実在していたのはスクリーンだけということになります。
同じように普段私たちは、この小さな肉体と私という意識(我)が、自分だと錯覚していますが、実際は、その周りに広がる空間こそが本来の自分であるということだと思います。そのことを「空」と言ったり「遍在、臨在」と言っています。そして、般若心経を何回も何回も繰り返し唱える事で、そのことを実感としてわかって行くにしたがい、この世のこうした苦しみ悲しみから解放されてゆきます。
そのために自分は、毎日、足を組んで座って唱えたり、床に入って横になって寝るまで般若心経を唱えたり、といつも般若心経を唱えるように心がけています。こうすることで何があっても大丈夫にだんだんなってゆきます。正しい死生観をもち日頃からそれを実感する方法を実践するということが、人生で一番大切なことではないでしょうか。そうすれば、こうした突然の別れと言う悲しく辛い出来事が起きた時になんとか乗り切り、再び明日に向って生きることができるのではないかと思います。