まだ結婚できな男と縁
テレビの番組でまだ結婚できない男というのがあり、ついはまって見てしまった。そういえば、うちの兄貴もまだ結婚できていないし、けっこう知り合いにも結婚できない男たちがごろごろいる。かく言う自分もまだ再婚できていない。こうした場合、縁遠いとか縁がないというが、さて縁とはいかなるものなのだろか。
それは、ミツバチと花の関係のようにある時期がくると出会い、結びつく関係のことだと思う。花が咲く前、冬の寒い時期には、どんなにたくさんの木があっても、ミツバチは飛んでこないが、春になっていっせいに花を咲かせるとミツバチが飛んできて花に群がり蜜を集めるようになる。つまりは、縁とは機が熟するということを意味している。
ドラマの中のまだ結婚できない男は、偏狭な性格ゆえにいつまでも心を開き相手と関係を結ぶことができないので、女性と話す機会はあっても付き合うことができない、つまりはまだ機が熟していないという設定で、その不器用さが、面白く見ていて笑える作品だった。そして、その中にこんな台詞があった。
隣に住むみちるという女性の部屋で、テーブルを挟んで結婚できない男の桑野とみちるが相対して気まずそうに座っている場面で、
桑野:「な、こういう時、頭の中で般若心経が流れたりしないか?」
みちる:「しません。っていうか知らないし。」
桑野:「そ」
この台詞には思わず大笑いしてしまった。頭の中で般若心経が流れることは、素晴らしいことだが、女性と二人きりのこうした場面だ、そうなるとは、たいしたものというか、そのまま仏の道に進んだほうがいいくらいだ。人の世の縁は、出会う縁もあれば、別れる縁もあるが、季節が移りゆき、花が咲き散るようにどちらも自然なことだ。しかし、誰もが最後にたどり着くのは仏の縁だ。自ら覚醒し本当の自分に気づき仏になる縁ほど素晴らしいものはない。なぜなら、その時期を迎えれば、二度と失うことのない最高の喜びという果実を得たことになるのだから。