覚え易い般若心経の解説1

般若心経の読誦を進めていたら、なかなか覚えられないという声を聞いたので覚え易く解説してみたいと思います。今日は、前半部分、観自在菩薩から以無所得故までの解説をしたいと思います。一番言いたいことが一番初めに語られています。「観自在菩薩 行深 般若波羅蜜多 時 照見 五蘊皆空 度 一切 苦厄」つまり「観自在菩薩が、深い瞑想状態に入った時に、この一切は空であると照らすように見切って、一切の苦悩や災難から解放された。」ということ。後は、この文章の内容を解説しています。

五蘊とは、色、受、想、行、識のことです。色は、肉体や物質という意味でしょうか。舎利子1で言っているのは、肉体のことでしょうか。肉体は、空間には違いが無く、空間も肉体に異ならない、すなわち、肉体は一瞬で空になるし、空は一瞬で物質化する。受、想、行、識の精神作用にも同じことが言える。

そして、舎利子2で、そのことは、この世の様々の法則についても同じように言えると拡大して説明しています。すべての法則が、空相なのだから、生まれることもないし滅するということもないし、汚れることもなければ浄化されるともない、増えることもなければ減ることもない。つまり海の表面は、波があり絶えず変化しいるが、その海底はなんの変化もなく絶えず静まりかえっているということでしょうか。

無色無受想行識は、肉体も精神作用もないのだから、それを受けとる眼や耳や鼻や舌や身体や意識という感覚器官もないし、感覚器官がないのだから、色や声や香りや味覚や触覚や法則もないのに等しい。それがないということは、眼の前にある世界も幻想であり、意識というものも存在していない。したがって、無知ということもないし、それがなくなることもない。また、老いて死ぬということもないし、それが無くなることもない。だから、苦諦(くたい)迷いのこの世は一切が(ドゥッカ)であるということもなければ、集諦(じったい)苦の原因は、むさぼり求める執着であるという認識もなく、滅諦(めったい)執着を断つことで苦しみを滅した悟りの境地を求めることもないし、道諦(どうたい)そのためには八正道によるべきであるということもないと言い。智慧もなければ、それを得るということもないと説いている。

つまりは、すべてが幻想だと言っている。ここまでが、前半の部分です。これでその意味が分かり覚え易くなったでしょうか。つまり、「五蘊皆空 度 一切 苦厄」の意味を解説している訳です。

「自己なき自己」の本の中で、ラマカント・マハラシが、これらのことを分かり易く解説してくれているので、また、引用してみよましょう。

以下引用

マハラジ:私たちは、空をさまざまな壁の中に閉じ込める。寺、台所、トイレ。同じことを、国でもしている。「これはオーストラリア、これはインド」等々。私たちは、こういう壁を、想像によって作り上げた。この人たちは、インド人、あの人たちはオーストラリア人、だれが区別しているのだろう。私はそういう意味で言っているのだ。

だから、自分は身体ではないという確信を持たねばならない。ある程度のときが過ぎたら、あなたは身体に「バイアイ」をしなければならいない。しかし、あなたの臨在に別れを告げることは決してない。空は空であり、今までも空だったし、これからも空だ。そして、あなたは空よりも霊妙で神秘的だ。家は、壊れるが空は壊れたりするだろうか。?

これはとても大切なことだ。あなたを見なさい。そして、この世界がどのように投影されているか確かめなさい。

中略

真剣に考えなさい!深く、深く、深く、自己なき自己の中に入っていきなさい。スピリチュアリティの秘密のすべては、あなたの中に隠されている。あなたがそれを明けねばならない。もちろん、強力な専心と信頼が必要だ。あなたに対する信頼が必要だ。

以上引用終わり

般若心経を繰り返し繰り返し唱えるのも、自分が身体ではないという確信を得るためです。すべての苦しみの原因が、自分と肉体を同一視することから始まっていると説かれています。自分を空と観(感)じることができるようになって、初めてこの世の一切の苦しみから解放されるのでしょう。

 

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