般若心経読誦1万4千回を経過

新たに般若心経を唱え始めて、4000回を経過した。3月が花粉症で鼻がつまり、ほとんど読み進むことができなかったので、4月になってまた大きく伸ばすことができた。絶えず変化してやまないこの世を乗り切るためには、このが幻想であることを実感して、その底にある絶対的なエネルギーの流れと合流するしかない。そして、その命の流れがわかってくると次第に物事が上手くタイミングよく起こるようになってくる。この間に来た患者さんは、「まだ1000回ぐらいしか唱えていないですが、最近、やはりすべてがタイミングよく起こるようになって来ました。今日もそろそろ来ようかと思っていたら、先生からメールが来てびっくりしました。」と言っていた。この患者さんも、こちらの言うことを素直に聞いてくれて、毎日、般若心経を自分なりに唱えてくれている。他にもたくさんの人が唱えてくれていると思いますので、ぜひ、これからも生きている限り唱え続けましょう。

自分の身体のこと仕事のことと逆境にあることもありますが、すべての救いはこの世が一時的なもので、幻のようなものだということでしょうか。そのこと実感するために日々油断せずに般若心経を唱えるのです。般若心経を声を出して唱えているとその音の振動が体中に響き渡り、細胞一つ一つが共鳴するような感じで、非常に気持ちが良くなります。まさに喜びに身体も心も包まれるようになってくる。だからこそ、長く続けることができるのです。この喜びがわかってしまうと、わざわざ高いお金と時間を費やして、海外に旅行に行ったり、買い物をしたりすことが、馬鹿らしくなってきます。外にある喜びは、どんなに高価なものであっても、それが達成された瞬間に一瞬にして色あせて、その魅力を失ってしまう。だから、次の瞬間には、もう他の喜びを求めている。そして、その欲望には限りがない。目の前に人参をぶら下げられた馬のように一生欲望に駆られて走り回ることになってしまう。最後に残るのは、徒労とぼろぼろになった心と身体だけではないでしょうか。

その点、般若心経を唱えるには、どこか遠くへ行く必要もなく、今、こここの瞬間に即座にできることです。しかもその喜びは、決して失われることもなく、いつでも身体の内側から湧き上がってきます。こんなに素晴らしいことをやらないのは、もったいなさ過ぎる。限りある肉体の寿命を安易な儚い欲望のために浪費してしまうのは、知らなかったではすませない時間の浪費になってしまうかもしれない。誰しも死んでから後悔しても後の祭りなのだから、今、生あるうちに他の欲望は放って置いて、唱えた方がいいのではないでしょうか。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)