前世はお姫様

知り合いに前世の話が好きな女性がいるが、その人に前世は何だったのと聞くとだいたいお姫様だ。まあ、「アナ雪」や「白雪姫」「シンデレラ」と女の子の憧れは、お姫様なのだから、絶対、自分の前世はお姫様だったと思い込んでも無理もないのだが。そういえば、事件を起こして社会問題となった教祖にやはり知り合いが妹さんと共に入信してしまっていたのだが、その教祖が、妹さんの前世を「ちょうちんアンコウ」だと言ったと聞いたことがあるが、それもちょと言いすぎだと思う。

この話の前提として、我々は、感覚的に輪廻転生を認めている。回るい地球の上をぐるぐる回るように輪廻の輪の中で転生を繰り返している。そして、因果の道理で、自分が行った行為は、ある結果を導き。善因善果、良い行いをすれば良い結果が得られ、悪い行いをすれば、悪い結果が与えらるとされている。そして、三時の業報の理で、順現報受で今の世で報いを受けるか。順次生受で来世で報いを受けるか。順後次受で第三世あるいはそれ以降の生で報いを受けることになるという。これらを業、カルマというのだろうが、般若心経の中では、般若波羅蜜多の境地では諸法空相となり否定している。

このことを「自己なき自己」の本の中でラマカント・マハラジは、こんな風に述べている。

以下引用

マハラジ:(前略)あなたの人生のすべての瞬間がかけがいのない、価値あるものだ。今こそ、そのときだ。盲目的な信頼があってはならない。納得できないものを受け入れてはいけない。生まれ変わりとか前世の誕生、スピリチュアルな誕生、前世のカルマ、未来のカルマなど、たくさんの概念がある。誰のカルマか?スピリチュアルな科学では私たちは前世のカルマのせいで誕生したと言われている。これについて考えてみなさい!

一番最初に生まれる前、カルマはどこにあったのか?

カルマはない。ダルマもないし、宗教もない。私たちは、文明的な社会を打ち立てるために宗教を作り、形成した。
ここでは、私たちは直接的な知識、率直で端的な知識について話す。しかし、あなたは幻想の環境の圧力下にあるので、それを受け入れるのは難しいと思っている。

以上引用終わり

前世がお姫様という幻想は、楽しいカルマなので、まだいいが。今いる自分の苦境や病気が、前世の自分の撒いた種のせいだと思うのは、あまりに暗く重すぎる。でも、毎日、般若心経を唱えることで、そうした錘から解放されて、一切空の自由な世界へと繋がってゆける。そして、般若心経の中の一つ一つの言葉は、直接的で率直で端的な知識の表れと感じる。

上のマハラジの言葉は、現実の中で生き、自分も単なる肉体だと思えば、ダルマにもカルマにも拘束されるが、意識を肉体から離し、深い瞑想状態に入れば、それらの概念から解放される。つまりは、究極的な悟りの境地では、ダルマもカルマも存在しないということなのだろう。

話は違うが、先日、小学校の先生の命日だからということで、幼馴染みに忘年会に誘われた。最近は、毎晩、1時間近く専心して般若心経を唱えているので、あまり行きたくなかったが、日頃からの付き合いで断われずに参加した。幼馴染にとっては、恩師の命日、墓参りは大切なものなのだとはわかるが、せめて一日一回でも般若心経を唱えた方がかえって供養になるのではないかとも思った。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)