災害などによる突然の死に備えるには

最近は、毎年なんらかの災害があり、今回の台風でもたくさんの方が犠牲になってしまった。今のところは、大丈夫であったとしても明日は我が身になる可能性が誰にでもある。特に、自動車に乗っていて、道路や橋が崩落して犠牲になってしまった事故が何件かあったが、まさか自分がそんなことで亡くなるとは、誰も夢にも思っていなかったのではないかと思う。また、橋の上で信号待ちをしていて、「今地震が来たらどうなるのだろうか」とふと思うことがよくあるのだが、自分自身が崩落に巻き込まれていつ死んでしまうかもわかわからない状況になっている。そして、こうした時代だからこそ、日ごろから「死」について考えて心の準備をしておくことが必要ではないかと思う。

ちょうど「自己なき自己」にそのことについてふているので、また引用してみよう。

以下引用

マハラジ:時がたつのは早い。あなたの人生の一瞬一瞬が価値があるものだ。

あなたとともにありなさい。人生の終わりのときまで、自分自身を置き去りにしたりしないこと。

今こそ、自分を本当の意味で知ろうとしなさい。そうでないと概念や幻想、思考があなたに圧力をかけ続けるだろう。あなたの人生は混乱と葛藤の内に終わるだろう。

死の概念に立ち向かう勇気を持ちなさい。あなたに死はない。体にとって、あるだけだ。あなたの人生は恐れのないものでなければならない。恐れのない人生は可能だ。ただエゴを取り去ればいい!文字の知識は役に立たないのだ。それはちっぽけな知識だ。あなたはちっぽけではなく、偉大だ。あなたは全能だ!あなたは偉大なのだ!だから、あなたの偉大さを見つけなさい!真我を発見し、自分自身の知識を明らかにしなさい。そうすれば、偉大なる真の知識が豊かに見つかるだろう。

知的な知識は十分ではない。あなたは根本まで行かねばならない。深く深く行きなさい。

中略

あなたは偉大だ。あなたは全能だ。

今こそ、真剣になって、内側を見て、根本まで行くときだ。死の瞬間は、幸せな瞬間でなければならない。

以上引用終わり

最近は、終活という言葉が流行ったりして、週刊誌でも「死」について特集を組んだりしているが、そのほとんどが「死」そのものを見つめるというよりは、死に際しての手続き上の問題をとりあげているだけだ。マハラジが言うように死の概念に立ち向かう勇気があれば、世の中の見え方も違ってくる。そして、死がないということがわかり、死んでも死なない命に気づくことができれば、この世は明るいものとなるだろう。今の社会の矛盾は、死を恐れ遠ざけようとしていることから起きていることが多いのではないだろうか。

また、マハラジが、私たちの本質は、身体形態ではなく臨在だという意味は、海と魚を例にとれば、自分たちは魚ではなく、海の水そのものだということだろうか。個我としての意識は、肉体の死を持って終わったとしても、その水分が海に溶け込むように意識の大海へと帰ってゆく。その大海のことを無とか空という言葉で表現している。そして、マハラジは、そのことを体感するためにマントラ、瞑想、バジャン(神を賛える歌)を行うことが大切だと言っている。自分としては、般若心経を唱えることや瞑想を行うこと、そして、気功指圧で患者さんと気の対話をし、「青い海」の気功を教えることを日々の行として行っている。こうした行に集中して、概念や幻想、思考が浄化されて解放された時に自発的に悟りの瞬間が訪れるという。

今回の災害でも残念ながら、たくさんの人が亡くなってしまったが、もし我々にこうした知識があり、日々精神的に深めることの重要性を認識し、実践していたなら、その死の瞬間は幸福なものにすることができるのではないかと思う。

 

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