人は自分という名のフィクションを生きている
最近、あまりに悲惨な事故や凄惨な事件が相次いで起きている。そうした事件、事故に不幸にも巻き込まれてしまった人たちがどうやって、そのショック状態から立ち直っていくのかが心配になってしまう。それまでの人生が、幸福であればあるほど、そのショックは大きなものだと思う。この世に生きている限り、毎日、いろいろなことが次から次と波のように押し寄せてくる。一難去ってまた一難というが、平穏で安定している期間の方が少ないかもしれない。そんな中で心の平安を保つには、いったいどうすればいいのだろうか。
その一つの方法としては、「この世の一切が空」であるという認識を身を持って実感してゆということだろう。この写真のようにこの世の現実と言われるものも、暗闇の舞台の上で上演されていいる一つの物語に過ぎないということを認識することだ。本来の自分の意識は、その外側にいてそのすべてを眺めている。あまりに強くその舞台上の人物と同化してしまっていることに、この世のすべての苦悩と災厄の悲劇の元がある。
もし、舞台上の役者が、面を自分の本当の顔と錯覚して、同化してしまったら、その舞台上で演じられている悲劇や苦悩は、まさに自分の苦しみとして帰ってくる。しかし、舞台を降り、面を取り衣装を脱げば、その苦しみも実は仮のものだったとうことに気付くことができる。同じような意識を持って「一つのフィクションとしてこの世を生きる」ことができれば、あらゆるものが、もっと気楽で楽しいものになるのではないだろうか。
だからこそ、人は、普段からこの現実や自らの肉体に完全に同化するのではなく、一歩さがった場所から、俯瞰的にみる意識の持ち方を練習するべきなのだと思う。