知識や興味よりも純粋な信頼が大切だ。

今年も残りわずかとなってきました。そして、今年の最後に思うののは、知識や興味よりも純粋な信頼が大切だということです。気功教室や気功指圧に長く通ってくれている患者さんとは、やはりこの純粋な信頼関係があります。気功教室の場合、知識や興味で来た人は、すぐにかあるいはやがては来なくなってしまう。治療に来る患者さんも信頼して定期的に通ってくれる患者さんの方が、確実によくなっていてるし、いろいろな所に行く人はなかなか治らない場合が多いように思います。

そのことについて、マラカント・マハラジはこのように述べています。

以下引用

質問者:ゴールの一歩手前から振り出しに戻るのですね。

マハラジ:(笑いながら)一回「戻る」のコマに止まれば、あなたは後戻りしなけらばならない。疑いが一つでもあれば十分だ。あなたは牛乳(知識)をたくさん持っているが、ひとつまみの塩を加えただけで、味は台なしなる。たった一つまみの小さな疑いから、問題が生じる。あなたは自分自身を確信させなければならない。あなたが建築家であり、マスターなのだから。それは自己を明け渡すこと(アートマ・ニヴェダナム・バクティ)だ。あなたはすべてを明け渡さなければならない。完全に明け渡せば、何も残らない。「あなた」はないし、「私」もない。あなたは自分自身の足で立たなければならない。理論と実践は常に異なるものだ。

前に言ったように、ニサルガダッタ・マハラジやシッダラメシュヴァール・マハラジのような聖者はすべて、ほとんど教育を受けていなかった。しかし、彼らにはシンプルで深い帰依があり、それだけで十分だった。

シンプルな帰依で十分なのだ。ニサルガダッタ・マハラジはよく言っていた。「シンプルな帰依者はすぐに完璧になることがあるが、知的な経歴を持つ帰依者は常に知的、論理的に考え、比較をし、「これはなぜだ?あれはなぜ?なぜ?なぜ?なぜ?」と尋ねる」

質問者:頭がいい人というのは、とても有能で、マインドなどを用い、脳を常にはたかせている人というイメージですね。

マハラジ:完全な謙虚さがとても重要だ。完全な明け渡し、外側の力が常にあなたの気を引こうとするだろう?(中略)ここでは私たちは直接的な知識を与える。とても直接的な知識だ。しかしそれでも、ここに来た後もまだ旅をし続ける人たちがいる。彼らはスピリチュアルな旅行者だ。やって来ては去り、やって来ては去る。

以上引用終わり

思考というのは、一種の脳の癖なので、思考癖のついた人が思考を止めるというのは、とても難しい。以前、ある会に瞑想を学びきてきた人がいた。その人は、思考を止めることが大切だということは知っていたが、思考癖がついていたので、思考を止めることを思考していて、いつもとんちんかんな質問をして先生にたしなめられていた。結局、その人は、違う先生の所へ行ってしまったが、彼は未だにスピリチュアルな旅行者でいるのかもしれない。本当はここに語られているようにシンプルな帰依者になるのが一番だ。しかし、なかなか一度でラマカント・マハラジのように最終的なグルに出会うことはできない。したがって、自分のレベルが向上するにしたがって、次のグルの元へ行くのもしかたないと思うのだが、自分の場合は、先生と決めたら最低でも10年は師事してきた。そして、最終的には、自分の中にいるマスターに出会うことがゴールとわかっているので、今では日々そのために般若心経を唱えている。また、気功の生徒さんや患者さんで、シンプルに信じてついてきてくれる人がいることに感謝していている。

 

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