災厄、不幸、不調、不安の時は、神仏に呼ばれている
最近は、新型肺炎の影響で仕事のキャンセルが多いので、昨日は、一日中般若心経を唱えたらいったい何回ぐらいできるのかと思い挑戦してみた。唱えながら数珠を一回りすると108回だが、だいたいこれを一周するのに2時間ぐらいかかる。初めは、400回ぐらいはいけるのかなと思ったが、結果は、午前に一周、午後に一周、夕飯を食べてから、寝るまでに一周と300回しかできなかった。(実際は、324回だが、まああまり細かいことは気にしてない。)
それでも6時間は、集中して般若心経を唱えることができてよかった。6時間瞑想しろと言われてもなかなかできないが、声に出してお経を唱えることなら難なくこなすことができる。人間は、植物ではなく動物なので、ただじっとしているよりも、声をだしたり途中歩いたりして、何らかの行為をする方がやりやすい。昨日般若心経を6時間唱えて、今日は胸のあたりがすっきりしているし、花粉症もなぜか軽くなったようだ。
世の中には、この騒ぎで仕事が激減して焦って精神的に追い詰められている人もたくさんいると思うが、そんな時は、天から自分を見つめ直す貴重な時間を与えられたと発想の転換をして、般若心経を唱えるのも一つの方法だ。
うちに二人の患者さんが治療を受けに来ている。二人は年齢も出身地域もほぼ同じだ。一人は気に興味があり体調不良もあったので通い始めた。ただ、子供のころから何不自由なく育ち、今も仕事にも家庭にも恵まれていて、神仏にも興味がありなかなか愛すべき性格ではあるが未だに般若心経を覚えられずにいる。もう一人の人は、やはり体調不良で通い始めた。その人は、子供の頃から苦労して育ったようで、今までにいろいろと大変な出来事があったようだが、それにも負けずに気功教室にも通ってくれたり、般若心経もすでに5千回以上唱えてくれている。後者の人は、現世では苦労しているが、逆にそのことによって真剣に自分を見つめ高めることができているので、かえって神仏に愛され呼ばれていると言えるのかもしれない。
だからこそ、こんな時には、神仏に呼ばれているのだと思い、落ち込む時間があったら、真剣に般若心経などを唱えてみてはどうかと思う。声を出すだけでも元気がでて胸のあたりがすっとして生きる気力が湧いてくるのだから。