時間に追われるのか、時間を忘れるのか。

急がしいタイムスケジュールの中で生きている人は、いつも何かせわしなく何かにせっつかれていると感じながら生きているのかもしれない。そういえば、以前にはそうした感覚の中で息をしてたことがあったような気がする。しかし、最近は、時間に対するこだわりが消えてきた。それは、仕事と金との結びつきを意識しなくなってきたことと関係しているのかもしれない。

先日も治療の後、患者さんから代金をもらったかどうか分からなくなってしまったことがあった。治療の流れの中で、こうしたことはたまに起こってしまうのだが、結局、そのことを患者さんい言い出せずそのままになってしまった。自分の記憶も曖昧になってきているので、なかなかはっきりしたことがわからないが、こうした時は、目に記憶装置がついていればいいのにと思う。再生すればすぐに事実が判明するのだから。しかし、それも叶わないので、そのまま放置していたら、その週末に来た別の患者さんが、いつもお世話になるのでと余分においていってくれた。一見、その時は損失のように見えても、大きな流れの中では、ちゃんとどこかで補われるようになっているのだと感心する。

自分の仕事は、患者さんを癒すことにあるので、あまり他のことは意識する必要がないということだろう。人は、若いうちは自分が何でもやっていると勘違いすることが多いが、実際は大きな流れの中で流されているに過ぎない。それはちょうど流れる川の中で泳いでいるようなものだ。そんな大きな流れに気がつき、流れに身を任せて生きることができるようになってくると時間に追われることもなくなり、しだいに時間を忘れて仕事ができるようになってくる。今の時代は、時給を上げることがばかりに正義があると勘違いしているが、実際は、何時間働こうと熱中して時間を忘れるように仕事がでいきる方が、はるかに大切なのではないかと思う。

 

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