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簡単で効果的な豆腐大根ミックスサラダダイエットでこの夏3キロ減量に成功!

今年の夏も豆腐大根ミックスサラダダイエットに挑戦しました。結果は、3キロ減量に成功し、満足しています。今まで、スエットスーツを着て走ったり、いろいろと試しましたが、この方法が一番簡単で確実に効果がでます。皆さんに伝えてぜひ試してもらいたいと思っているのですが、意外を受け入れられていません。

7,8,9月の夏の暑い間、一日のうち一食を豆腐大根サラダを食べるだけの簡単なものです。大根の消化酵素が効くのではないかと思いますが、意外と腹持ちがよく気がわき上がりさわやかな感じで続けることができます。夜寝ていて暑いので、自然と汗をかくのもいいのだと思います。初めてこの方法を試した時には、5キロの減量に成功して驚いたものでした。今年は、3キロですが、お腹周りの脂肪が増えて太鼓腹突入かとマジになって焦って頑張った結果成果がでました。

とにかく脂肪爆発の傾向を止めることが大事かと思います。今では、お腹周りもすっきりして毎日快適に過ごしています。これから寒くなるので、体重が増えないよう気をつけてきたいと思っています。

簡単で効果的な方法なので、ぜひ、皆さんに試していただきたいと思います。

脳梗塞、出血、頸椎損傷などで寝たきりの方、往診マッサージを受けられる場合があります。ご連絡ください!

一昨日、長い間、往診マッサージに通っていた患者さんが、亡くなりお葬式に行ってきました。その方は、10年ぐらい前のお正月に階段から足を踏み外し、頸椎を損傷してしまいました。それでも奇跡的に一時は回復し、歩けるようにまでなったのですが、コロナが流行りまた寝たきりの生活になり、だんだん衰えていきました。

なかなか気さくな方で、マッサージをしながら話すのが、楽しい方でした。家族や施設の人たちにも愛されていたのではないかと思います。先週の水曜日にマッサージに伺いその翌々日に亡くなられたということです。最後まで、施術を受けて頂きありがたいことだと思います。

往診マッサージは、治療院から16キロ以内であまり遠くまでは行けませんが、こうして縁のある方がいれば、ぜひ、施術させていただきたいと思いますので、気楽にご連絡ください。

「青い海」の気功で心と身体を整えよう!

「青い海」の気功の紹介動画を作りました。簡単でだれにでもすぐに出来る気功なので、ぜひ、試してみてください!動きながらクジラになって、青い海を泳いでいき、しだいに意識の大海に溶けて心と身体が解放されてゆく気功です。とても気持ちがよく、体も楽になってゆくので、お勧めです。

太極拳とかも随分ながく教えたり学んだりしてきましたが、形が難しく覚えるのに大変な時間がかかります。そのためになかなか気感を得るのが難しいですが、この気功なら動きが優しいので、すぐに気を感じることができるようになると思います。

優しい動きとクジラになって海の中を泳ぐイメージで、生命エネルギーの流れになって、意識の大海へと溶けてゆきます。身体も次第に緩んでくるので、全身に気が巡り身体が温かくなり、心地よくなってゆきます。最後は、湖に映る満月が光りと化し、水見全体に広がって自分たちもその光の中に溶けて消えてゆくイメージで終わります。本当に気持ちが良いので、ぜひ、一緒に動いてみてください。

 

すべては流れ来たり流れ去るものなり

今日も朝から般若心経を唱えながら瞑想した。するとこんな言葉が降りてきた「すべては流れ来たり流れ去るものなり」。人や物あらゆる物が、一時的に自分の所に来るが、それらは時間の経過と共にやがては流れ去って、消えていってしまう。「無い物をあると錯覚して、それに執着することで苦しみが生まれる」。最近、年をとるに従って、昔出会った人たちとの関係も消えてきてしまった。特に東京など遠くにいる友達との関係が消え去ってゆく。おそらくもう二度と会うこともないだろうし、それを懐かしむ自分自身が消えてゆきつつなるのだから、それも自然の流れなのだろう。

すべてが流れ去ってしまっても、最後に残る物があるとすれば、それが本当の自分だ。あるいは、それも流れ去ったゆくのか。「吸う」「吐く」「吸う」「吐く」、呼吸だけが残ってゆく。しだいに深い意識に落ちながら。こうして深く自分の内面に入るのは、久しぶりの気がする。これからは、外の出来事、意識の海の海面にある波の動きにその焦点を合わせること無く、深く海底にある充足と喜びに帰ることを忘れずに行こうと思う。

 

 

大切な家族への指圧法の解説②

大切な家族に対する指圧法をより具体的に解説してみました。指圧する時は、その体勢が非常に重要なので、施術者の姿勢が映るようにしてみました。普段着で指圧したので、色が濃くていまいちはっきりしない所もあります。次回撮影する時は、できるだけ白い物を着て施術してみたいと思います。コントラストがあった方が、腕の動かし方もよくわかると思うので。

ただ、皆さんが家族を指圧なさる時は、普段着なので、そうした時の参考になったのではないかと思います。太極拳を練習した時も、あまり道着に着替えると言うことはありませんでした。武術を使う時は、普段着で使う訳ですから、その方が理にかなっているのかなと思ってました。同じように家族に指圧をする時は、改まって行うものではなく、日常生活の延長線上で行う訳ですから、普段着の方がいいのかもしれません。

気功指圧の要点は、押すのではなく、うまく体重を乗せてゆき、相手の筋肉が緊張することのない、自然な圧をくわてゆくことにあります。そうすることで天地の気が自然に相手に流れ込んでゆきます。あくまでも相手の中心線にある中脈を開き、そこから気がわき上がるようにして、自然治癒力が働くように導きます。

 

健康と長寿の秘訣は毎晩の気功指圧

先週の土曜日の午後5時からBS朝日の「からだ若返りTV」でうちのお袋さんが放映されました。今日の5時までTVerで見られます。その時に指圧のシーンも撮影していったのですが、実際の放送では完全にカットされていました。テレビ局の方針が、西洋医学偏重でカットされたのかどうかわかりませんが、毎晩の指圧が彼女の健康と長寿に貢献していることは確かな事だと思います。機械でも動物、人でも、それを動かしているのは、エネルギーである電気や気ですから、その一番根本の所を無視してはなりたたないはずです。

そこでさっそく自分で「大切な家族を指圧する方法」を動画にしてアップしました。これを見れば、母親や父親など大切な家族を指圧するだいたい手順が分かると思います。ポイントは、指先に力を入れるのでは無く、手の平で包み込むように腕や身体を押さえてゆくということです。指先に力を入れてもまれると、ただ痛いだけですが、こうして手の平全体で押さえると柔らかな気持ちの良い圧がかかります。そして、手の平の中心から気が相手に流れ込んでゆきます。

命とは、水のように絶え間なく流れる生命エネルギーである気の流れです。それを肉体と錯覚して、そこへ執着してゆくのは、ただただ苦しみが増すばかりです。なぜなら、物質である肉体は、いつ消えて亡くなってしまうかわかないものだからです。この間の地震のように突然訪れるかもしれないし、100年以上生きた最後に訪れるかもしれません。いずれにしても波のように変化し、やがては消えてしまうものをすべてと思い込んで、その示す数値に一喜一憂するのは、間違っていると思います。むしろ、肉体を超えた死んでも死なない命を求めて生きるのが得策ではないでしょうか。

キジバトの子育てからいろいろなことを学ぶ

うちの玄関の真ん前の木で、今年もキジバトが子育てを始めました。今年で3年目になりますが、その巣が手を伸ばせば届きそうな高さにあるためか、いつも巣立ちの前にカラスか猫に襲われてしまい、まだ一羽も巣立ったことがありません。しかし、キジバトの親は、まるで何事もなかったかのように次の年の春になるとまた同じ場所で子育てを始めるのです。今年も雛がまた襲われて、巣立てないかもしれないなどということはまるで考えていないかのように。

人間だったら、子供を失ったら、とてもではないですが、また、同じ場所で同じように子育てをするということはできないのではないでしょうか。心が張り裂けるように苦しくて、回復するまでにはかなりの時間がかかるのではないかと思います。また、思考力がありますから、外的に襲われないような違う場所を選んで子育てするでしょう。場合によっては、相手も変えているかもしれません。

毎年のことですが、いつもキジバトのたくましさには驚かされます。今年も川で遊んでいた女の子が、三人も亡くなるという痛ましい事故がありました。考えてみれば、自分自身でさえいつどうなるかはわかりません。般若心経は、深い瞑想状態に入った時に、一切が空で実態がないということを悟って、すべての苦しみや災厄から解放されたと言っています。普段から、こうしたものを唱えて、いつどうなっても大丈夫な自分自身を作っておくことが大切なのではないでしょうか。

般若心経を大空に向って唱える動画

毎日たくさんの人たちが、事件事故、病気や災害、戦争で亡くなっています。中にはアルバイト感覚で押し入った強盗に殺されるという痛ましい事件も発生しています。ここまでくると世も末だなと思います。こんな世の中にもかかわらず、今の政府は何を子供たちに教えるのかと思ったら、投資の方法を教えるのだそうです。そんなことで本当に子供たちの心が救われて世の中がよくなると思っているのでしょうか。

般若心経を唱えると傷ついた心が癒やされて、生きる元気がしだいに湧いてきます。それはなぜなのかといえば、そこには生きるということの不変の真理が語れているからでしょう。般若心経は、この世は、倒錯した夢の世界だと言います。それは、なぜかと言えば、「無いものを有ると錯覚している」からです。そして、なぜ苦しみが生じるかというと「さらにその無いものに執着している」からです。「無いものを有ると錯覚しそこに執着することであらゆる苦しみ災厄が生じる」。たとえば、今回のウクライナの戦争を考えてみると、プーチンという独裁者の頭の中にあるソ連の栄光という古い概念が、ウクライナは自分ものだと思いこみ執着することで、戦争を起こし、すでに両国合せて30万以上の人たちが死傷しています。だから、プーチンがそんな物は無いと言うことに気づき、執着を捨てることさえできれば、ただちにこの戦争という悲劇も終わります。

では、なにが倒錯しているのかというと、一般的には、人は肉体がすべてだと思い、固定観念、既成概念に囚われ、食欲、性欲などの衝動に突き動かされて生きているからです。しかし、般若心経を唱えたり瞑想を深めて、そのエゴや欲望を消していった時に、その実態が、実は、周りの「空間」にあるということに気づていきます。つまりは、主は「空」にあり、肉体や想念は、その空間の上に映し出された映画のような虚像にしかすぎないのです。

人は、家族や恋人、友人の死や喪失にひどいショックを受けて、心が壊れて、抑鬱状態に陥りますが、よく考えて見れば、自分自身でさえもいつ肉体を離れこの世からいなくなってしまうのかもわかりません。だからこそ普段から般若心経を唱える事で、この世が倒錯した夢の世界でしかないということを体感として悟ってゆき、執着から離れて、自由な解放された空間と一体化してゆくことが大切なのだと思うのです。

普段の生活では、目の前のことに気をとられて、本当の自分自身を見失い、狭い意識の枠に囚われがちです。だからこそ、こうして時には、見晴らしの良いところで般若心経を唱えて、本来の自分自身に帰ってみるのもいいのではないでしょうか。

 

最高の紅葉に出会うには

今年の紅葉もだんだんと里に下りてきました。身近にある紅葉スポットなら、その樹がいつどのように紅葉するのかを把握することができます。自分にもお気に入りの紅葉スポットが地元にいくつかあり、その時期になると動画や写真を撮りに行きます。世間一般では、京都とか有名な所に人が集まるようですが、「幸せの青い鳥」ではありませんが、紅葉も身近な所にこそ、素晴らしい場所が隠されています。

精神世界の探求においても、とかく人は、インドとかヒマラヤとか四国の巡礼とか遠くに出かけることで、何かを得られると錯覚していますが、実は、今こここの場所、自分の中にこそ本当の答えがあるということになかなか気がつきません。自宅で瞑想するよりも世界中を旅する方が、かえって簡単なのかもしれません。今ここに座って深く内面を旅することは、意外と難しいのかもしれません。

さて紅葉の話にもどりますが、なんと行っても一番重要なのは、日の光の当たり具合でしょうか。同じ紅葉でも、太陽がでているのか、曇っているのかで、その美しさはぜんぜん違ってきます。後は、紅葉の進み具合でしょうか。紅葉し始めた時か、すでに散り始めた時期かによっても違います。また、水分の影響もあります。朝露に濡れた落ち葉のグラデーションは、かなり美しいものになります。今年は、雨が少なく乾燥した日が多いので、いまいちその美しさが見られません。今朝は、多少雨が降って濡れていたので、もうかなり散っているかもしれませんが、時間があれば、山の中腹の公園に行ってみようかと思っています。毎年のことですが、最高の紅葉の美しさに出会うには、観察と経験そして幸運が必要なようです。

 

 

 

明日があるとは限らない(どんなに若かったとしても)

飼っているインコを不慮の事故により突然失いました。まだ生まれて一歳になるかならないかというところでした。鳥の場合は、こうした突然の別れというのは、よくあることなので、それなりに覚悟はできていました。それにしても、残念で時間が巻き戻せたらと思います。しかし、夢や映画の中では、可能であってもこの現実という世界では、それはできません。

最近のニュースを見ても、隣の国で大勢の若者が雑踏の中の圧死でなくなったり、(その中に日本人の女性が二人含まれていました)幼い子供がマンションから転落して亡くなったりと人においても突然の別れがいつおきてもおかしくありません。残された遺族の方の悲しみは、いかばかりのものか、また、その喪失感から立ち直ることができるのだろうかと心配になります。

自分は、そのために日頃から般若心経を唱えて心の備えをしていますが、そうした準備なしに、突然このようなショックを受けたら、いったいどうやってその悲しみから、立ち直ることができるのでしょうか。

般若心経では、この世は、倒錯した夢の世界だと言います。つまりは、夜、目を閉じて寝ながら見る夢と、昼間、目を開けて起きた状態で見る夢と二つの夢の間を行き来しているということで、しかも、この世の夢は倒錯していると言います。倒錯とは、逆立ち逆転しているということで、普段、自分だと思っているものが、実は本当の自分ではないという意味でもあるでしょう。たとえて言えば、映画のスクリーン上には、様々のドラマが展開しますが、映画が終わってライトがつけば、そこには真っ白なスクリーンだけが残るだけです。つまりそこに展開していたドラマはすべて幻で、実在していたのはスクリーンだけということになります。

同じように普段私たちは、この小さな肉体と私という意識(我)が、自分だと錯覚していますが、実際は、その周りに広がる空間こそが本来の自分であるということだと思います。そのことを「空」と言ったり「遍在、臨在」と言っています。そして、般若心経を何回も何回も繰り返し唱える事で、そのことを実感としてわかって行くにしたがい、この世のこうした苦しみ悲しみから解放されてゆきます。

そのために自分は、毎日、足を組んで座って唱えたり、床に入って横になって寝るまで般若心経を唱えたり、といつも般若心経を唱えるように心がけています。こうすることで何があっても大丈夫にだんだんなってゆきます。正しい死生観をもち日頃からそれを実感する方法を実践するということが、人生で一番大切なことではないでしょうか。そうすれば、こうした突然の別れと言う悲しく辛い出来事が起きた時になんとか乗り切り、再び明日に向って生きることができるのではないかと思います。