97歳老婆の涙

最近は、人生100年時代とか言われるようになった。そのために社会保障費が増大するので、消費税を上げるのは当然だし、年金支給年齢を70歳に引き伸ばすべきだとも言われている。でも、それって本当に幸せなんだろうか。寿命が延びたために死ぬまで働かなくてならなくなってしまい、かえって不幸になっていないだろうか。

毎週、マッサージに通っている老人施設で、97歳になるお婆さんがいる。すでに認知症が進んでいるので、毎回同じ話を聞かされる。そんなおばちゃんが、この間行った時に身体を振るわせて泣いていた。なぜかというと施設の人が自分の物をみんな取ってしまい、物がなくなってしまうというのだ。しかも、年中働いている人が入れ替わるので、誰も分からないという。タンスはなくなってしまうし、服もなくなってしまうし、その時は、ひざ掛けもなくなってしまったと言って泣いていた。

確かにその施設は、職員の入れ代わりが激しいとは思ったが、タンスの件などは、地震の時に倒れては危険なので、家族と話しあって片付けたのだと思う。そのおばあちゃんの口癖は、「もういつでもあの世に行きたいんだけれど、なかなかお迎えに来てくれないんだよ。」ということだ。同じような言葉、102歳で亡くなった自分の祖母からも聞いたことがある。彼女は、バスに乗りたいとあせるのだが、いつもバスに置いてかれる夢を見るといっていた。

こうしたことを考えると安易に「人生100時代」などと言う事の愚かしさがよく分かる。人生、ただ長く生きればいいという時代は終わったのだ。死の意味を肯定的に捉え生死を一つのものとして生きることができるようになれば、無闇に税金ばかり増やすことなく、充実した生を送ることができるようになるだろう。平均寿命は、下がるほうが個人も社会も幸せになれるということをそろそろ気づくべき時ではないだろうか。

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