般若心経一万回達成そして新たなスタート

般若心経の唱えた回数を治療室のホワイトボードに書いてある。そして、それがちょうどいっぱいになっって一万回が達成されて合計で2万回になった。今度は、3万回を目指して唱えて行くが、単に回数を増やすのが目的ではなく、あくまでも唱えながら般若波羅蜜多の意識の状態になるのが目的なので、特別な感動もなく、すでに新たに百回唱え終わった。それでも最後の方になると気合いが入って、一日一時間半は唱え続けた。

唱える時間が長くなるとそれだけ意識が半覚醒状態となり、深い意識の中へと入ってゆける。だから、数の目標を持つことも悪いことではない。次回、3万回に達する頃は、どんな意識の状態に入っていけるのか楽しみだ。

そして、時を同じくしてラマカント・マハラジの「自己なき自己」も読み終わってしまった。この本は、ちょうど般若心経の意味を解説してくれているような内容だったので、出会ったタイミングがよかった。がしかし、ラマカント・マハラジ自体は、一昨年亡くなってしまっているのを後書きを読んで知った。生きていれば、一度会ってみたいと思ったのだが、残念だ。

最後に彼の言葉を引用しておこう。

以下引用

私はあなたに自分の究極的な実在、最終的な真実を見せた。今、あなたは自分の真のアイデンティティを知っている。

修行と帰依を続けなさい。真我知識を完璧なものにすることが帰依であることを思い出しなさい。

さあ、行きなさい。マインド、エゴ、知性は置いて行きなさい。

吸収し続けなさい。穏やかで、幸せでありなさい。

次の一節は、すべての教えの骨子が含まれている、これを心にとめておきなさい。

あなたの「自己なき自己」以外に神はなく、ブラフマンもなく、アートマンもなく、パラマートマンもなく、マスターもない。

以下引用終わり

中学生の頃だったろうか。夜中にベッドの上で寝ていると頭の中でお経が聞こえてきたことがあった。そのお経がどんなお経だったのか、その頃はまだお経についての知識がなかったのでわからなかったが、もしかしたら般若心経だったのかもしれない。それ以来、坊さんにはならなかったが、自分なりずっと道を求めてきた。その基底に響いている言葉が、「己を以て主とす 他に何ぞ主あらんや」という言葉だ。この言葉の意味は、マハラジが言うように「あなたの「自己なき自己」以外に神はなく、ブラフマンもなく、アートマンもなく、パラマートマンもなく、マスターもない。」という意味なんだと思う。その臨在(仏教ではそれを仏と言うのだと思う)に出会い、同化して、溶解してゆくことが、これからの目的となる。般若心経を唱え続けることで、こうした本とも出会い、より目標がはっきりとしてくる。きっと悟りの方から近づいて来てくれているのに違いない。これからも皆さんと共に百万回目指して唱え続けて行きたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。

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