対象にへばりついた意識を引き剥がす

自分たちの意識は、いつも目の前の何かに引っ張られている。そして、一度その対象が気になりだすと意識がその対象にへばりついてしまって、どうもがいてもそのことばかりが気になりだし、それ以外のことを考えることができなくなって四苦八苦する。そのことを忘れようとしても無駄で、考えないようにしよとすればするほど、いつの間にかまたそのことを考えてしまっている。もがけばもがくほど深みにはまり、次第に憔悴して身も心もやせ細っていってしまう。

般若心経を唱えるのは、こうした状況から抜け出すためだ。「観世音菩薩が、この世の一切が空であり実態がないと悟った時にすべての苦しみ災いから救われた」と言う言葉を繰り返し繰り返し唱えることで、この世の対象にへばりついた気持ちがしだいしだいに離れてゆく。まるで洗濯機に投げ込まれて、ぐるんぐるんに渦に巻き込まれたような状況から、しだいしだいに冷静さと取り戻し、この世の対象物から引き離されて、平安な自由な心を取り戻してくる。

お経を唱えるということは、ある行為を行うということで、動物としての人間にはやり易い。本当に苦しい時には、植物のようにただじっと座って瞑想をすることは難しい。ある出来事や物などのこの世への執着の対象をお経を唱えるという行為に変換することで、執着という強力接着剤のように対象にへばりついた気持ちがしだいしだいに解けてゆく。そして、3000回を越えたぐらいから、冷静になり始め、対象にへばりついた意識をそこからひき離し距離を置いて見ることができるようになってくる。

そのころになってようやく、目を半眼にして空間を観るような意識、あらゆる対象から解放されて自由な状態になることができるようになってくる。そして、自分の心と身体にしだいに生命エネルギーが、再び充填されてゆくのを感じられるようになってくる。その時、初めていかに執着していた対象に自分の生命エネルギーを奪われていたかということに気付き唖然とする。本来の自由とは、何物にも心を奪われることなく、ただ、無心でそこにあるだけでいいのだ。

 

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