フリースタイル般若心経

この間注文した「曹洞宗檀信徒日課礼誦法」という経本がさっそく届いた。右に並べてあるのが、今まで使っていた経本で、ご覧のようにぼろぼろになってしまっている。この経本を買ったのは、もうかれこれ40年近く前のことで、当時館山の山口博永老師の元に禅と太極拳を習いに通っていた頃のことだ。朝早く起きると自然村の禅堂で座禅し、作務をし、朝食の後は、みんなで太極拳を習った。海が見える丘の上にある禅堂で、潮風に当たりながら、夕陽に向かって一人座っていたことを思い出す。

昨日の朝の読誦は、前の日が冷えたのかなんだか体がだるかった。いつものように般若心経を唱えだして、しばらく座禅の姿勢をしてから歩き出すと身体が、活元とか自発動功のようにかってに自由に動き出した。そのままお経を唱えながら、自由に身体を揺らしたりはねたりしながら、続けているとだいぶ身体がほぐれてしだいに楽になっていった。禅とかは堅い厳しいイメージがあるが、瞑想というものは本来気持ちのいい楽なものだ。あまり堅いイメージに縛られて修行するよりも、こうして自由に楽しく動くということもありなのかもしれないと思った。つまりは、フリースタイル般若心経だ。この方が一般の人にも普及しやすいのではないだろうか。

日常の中に般若心経を溶けこませて、日々の行住坐臥の中に般若心経の響きがあり、その響きの中に日常の生活があるようにする。そうすれば、自ずと唱える回数も増え、いつしか10万回でも100万回でも唱えることができるだろう。そして、たくさんの人たちとその響きを共有してゆけば、きっとこの国のはたまた地球の未来は明るくなるに違いない。新型肺炎が流行し、不安の中に暮らす人たちも多いと思うが、こうしたビジョンをともに抱くことができれば、そんな不安は吹っ飛んでしまうだろう。さあ、皆さん共に般若心経を唱えましょう。

 

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