この世のリアリティは人それぞれ

2年ぐらい前になるが、昼間小野上温泉に行った時に上の図のような物を目撃した。ちょうどカメラを持ち合わせていなかったのと、いかにも普通に当たりまえのように存在していたので、そのままさして気にかけることもなく温泉の玄関へと向かっていった。しかし、どうも地上からの構造物でもなさそうだし、飛行船でもないし、何なのかずっと気になっていた。

そんな時に先週末、友達にUFOの本を書いている人が来るので、行ってみないかと誘われたので、いったいあれがなんだったのか聞いてみようと思って参加してみた。

UFOといのは、未確認飛行物体ということで、医師や元軍、政府の関係者が語っている場合もある。M,グリア博士という元医師の書いたディスクロジャーという分厚い本を本屋でも読んだことがある。それは、軍や政府の関係者が実際に体験した事実を公開した本だ。日本人でも元自衛隊の人が書いた本もある。ところが、会場に行ってみると彼らの口からは、ファンタジー的なUFOの話しか聞こえてこなかった。その中の一人は、癌が治るとか言うヒーリングの話をしていた。UFOの話を聞きにきたのになぜヒーリングの話になるのか疑問だった。極めつけは、石が話しかけてくるという話で、どこか神社のような所に行ったら、石が他へ動かしてくれと話しかけてきて、一つ動かしたら、他の石もおれもおれもと話しかけてきて、全部動かすのが大変だったという話だった。これでは、幻聴、幻覚と区別がつかない。その夜は、UFOが飛んでくるという話だったが、もちろんそれはなかった。ただ、彼らの中では、飛んできていたと思い込んでいるのかもしれない。

般若心経が説くには、この世の一切が空だというのだから、自分が思う現実も彼らの持つファンタジー的な現実も、共に空で幻想なのかもしれない。人間は、同じ一つのリアリティの中で暮らしていると考えるが、実は、それも人それぞれで人の数ほどあるのかもしれない。でなければ、アフガンで現地の人たちのために一所懸命つくしてきた日本人が、銃撃されて殺されるなんてことは理解できない。

日本のように同質性の高い国で暮らしていると皆同じ考えを持っていると思い込み勝ちだが、実際は、人それぞれ様々な考えを持ち、違った風景を見ている。つまりは、この世のリアリティは人それぞれ違うということになる。UFOに関しても肯定的な人もいれば、否定的な人もいると思う。だが、そのどちらも結局は、幻想ということになる。

ここ数日、ラマカント・マハリシの「自己なき自己」に、この件に関して何か適当な文章がないかと思って、読み進めていた。適切な答えになっているかどうかわからないが、次のような文章を見つけたので、また引用してみよう。

以下引用

質問者:つまり、私たちは自分自身を試し、実在の上にしっかりと足を着けているか確認しなければならないということですか?

マハラジ:私たちの系譜のマスターたちは皆、実際的なアプローチを取った。自分に四つの質問をしなさい。「私は完全に恐れがないだろうか? 私は完全に安からだろうか? 私は完全に幸せだろうか? 私は緊張がないだろうか?」。これらの質問に「ノー」という答えが返って来たら、あなたの努力や知識はすべて無駄だったと思われる。あなたが買った通貨は、偽金、偽札だとわかったのだ。(くっすくす笑う)
 手遅れになる前に、自分に尋ねなさい。「私は、どこに立っているのか?」。体の終わりのときが近づくまで待つよりも、今、こういう幻想のお化けに直面しておいた方がいい。そのときまで待っていたら、あなたは「ああ、どうしよう」と恐怖に震えているだろう。そこには平安はなく、ただ恐怖だけがあるだけだ。

質問者:はい、わかります。本当のスピリチュアルな知識、真我知識は実際的でなければならないのですね。それは、日常生活で実践されなければならないのです。あなたがおっしゃるように、単なる理論的、知的な知識のままだと、それは基本的に意味がありません。

マハラジ:誕生も死もないことを、あなたは知っている。自分が生まれていないことを、あなたは知っている。実在を知れば、この圧倒的な恐れには何の基盤もないことがわかる。この、「誕生」のときからあなたについて回ってきた恐れは、大きな幻想だ。今、風船は割れた!

あなたは風船を割った!

以上引用終わり

UFOがあるとかないとか。この現実の中に地上1.5メートルから2メートルぐらいの間で地を這うように暮らしている自分たちには判断するのは難しい。軍や政府、天文、航空関係者なら、目撃する機会も多いだろうが、それも宇宙空間の広大さから比べれば、ほんのわずかな距離でしかない。

それどころか、我々は、9.11でツインタワーに旅客機が突っ込み崩壊していくシーンや、3.11の東日本大震災でたくさんの車が津波にのみ込まれていくシーンをまるで映画の一場面のように見てきた。そして、映画のような事件や事故が実際には毎日のように起きている。もしかしたら、近い将来、核戦争で核爆発が起こるシーンを目撃するはめになるのかもしれない。

しかし、マハラジが言うように本当の自分の姿を知れば、こうした幻想の風船が割れて、死や破壊の恐怖から解放される。そのために、般若心経を唱えるという実際的な行為によって、日々、不生不滅の自分の本質に気づき、確信してゆくことが大切なことだと思う。そうすれば、唯一絶対的なリアリティの中に生きて、なにが起ころうとも動じない安心と喜びの中で暮らすことができるようになるだろう。

 

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