全力投入というよりも全開流入

昨日、治療をしていて患者さんの顔が上気し、「身体中がだいぶ温かくなってきました。背中と顔は熱いくらいです。」と言われた。「それはよかった。気を全力投入かな、しているからね。」と言って、なんかこの言葉はふさわしくないなと思った。なぜなら、気を入れるときには、自分という意識を手放して治療しているからだ。気と力もむしろ対極にある言葉だ。

その後もどんな言葉は、ふさわしかったのかなとなんとなく考えていたら、全開注入という言葉が思い浮かんだ。そして、この文章を書きながら、「注入と言う言葉も意図的だな」と思い、「流入」という言葉に変えた。これなら、「私」という想いを排除できる。この治療は、天地自然のエネルギーがこの肉体を通して自然に流れ、患者さんの身体に入ってゆき、内側から活性化して、熱を発する。そんなイメージの治療だ。

そのせいか最近は、患者さんを指圧していると手の平から入った気が反射して熱を感じることが多くなった。手の平の周りの患者さんの細胞がピンクの光を放ってシュワシュワと動き出す感じだ。エネルギーの流れとしての自分をますますよく感じるようになってきた。肉体に囚われることから、この世のすべてに苦しみが生まれる。こうした感覚をすべての人が理解できるようになれば、世の中、もっと楽に未来に希望を持って生きることができるような気がする。

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