マインドフルネス、生産性の向上って?
最近、本屋さんに行くとマインドフルネスという題名のついた本を良く見かける。GoogleなどのアメリカのIT企業が、生産性の向上のために瞑想を導入したということが話題になり、日本でも売れると判断して出版しているのだろう。しかし、考えてみれば、瞑想はアジアが本場で、日本にも禅という瞑想法の長い歴史がある。今更、マインドフルネスなだという言葉でありがたかがって、高いお金を払って導入している企業があるとしたら、それは灯台元暗しで、瞑想がしたければ、近くの禅寺もあるし、いろいろなアジアからのお寺やヨガ、気功のセンターもあるのあるのだから、そちらに行けばそれで済む。それに般若心経を唱えれば、家でも外でもどこにいても、意識を瞑想状態に導くこともできる。だから、最近、流行のマインドフルネスという言葉には、違和感を覚える。
ただ、世の中の関心を瞑想に向けることができたとすれば、それはそれで一つの成果なのかもしれない。
ところで、「自己なき自己」でラマカント・マハラジは、こんなことを述べています。この本は、マインドフルネスよりも遥かに心を豊かにしてくれると思いますので、お勧めです。
マハラジ:一人目のグル、二人目のグル、三人目のグル、グル、グル、グル、あなたはいったい何人のグルが必要なのか?必要なのは一人だけだ。あなたは一人のマスターだけに信頼を置かなければならない。そのマスターに完全に信頼を置きなさい。
あなたは一人のマスターと、百年ともに過ごせるが、もし、マスターを受け入れず、完全に信頼しなければ、すべての時間は無駄だ。
あなたは自分自身を完全に信頼しなければならない。そして、それと同時に、あなたのマスターを信頼しなければならない。どんなグルでもいい。あなたの内なるグル、内なるマスターが一番大切な中心なのだから。「内側」とか「外側」という言葉を用いるのは教えるため、あなたを確信させるために過ぎない。だから再び繰り返すが、私が言うことを文字通りの意味で受け取ってはいけない。あなたの内側の内なるマスター、あなたの自発的で名も無い臨在は、膨大な知識を持っている。あなたのマスターはそのパワーを蘇らせている。
確信を得た後は、いかなる種類の誘惑もあってはならない。もっと知識を得るために、どこかに行きたいなどという願望があってはならないのだ。私はあなたのような人たちに以前、会ったことがある。彼らはマントラを受け取り、それからどこか他の場所に行く。私は彼らを気の毒に思った。私は彼らを確信させようとして時間を費やすが、彼らは他のマスターのところへ行く。悲しいことだが、こういうことが起きる。
千人に一人、真剣な探求者がいるかもしれない。
この向うには何も無い。この知識の向うには何もない。これは最終的な真実だ。「あなたはブラフマンだ。あなたはブラフマンだ」。私は同じことを毎日、叩き込む。しかし、あなたはそれを受け入れない。なぜなら、あなたは幻想の世界から出て行きたくないからだ。あなたはそれにとても執着している。
スピリチャリティのことは忘れてしまいなさい!体には時間の制限がある。時計の針は進み、いつの日か、好むと好まざるにかかわらず、あなたは体を去らねばならない。これは明らかな事実だ。
死の概念は、常に、どんどん近づいている。
あなたはいつまで彷徨い歩くつもりかね?あなたはもう旅行者ではない。あなたは最終目的地、最終点なのだから。もう旅行は必要ない!
以上引用終わり
本当に心を豊かにするのは、だれかのための生産性の向上ではなく、自分が最終目的地であり最終点だという確信だという。企業の利益を上げるために瞑想をするというのは、本来の目的からは遠ざかっている。むしろ、こうした状態で作られたロボットやAIによって、人間がいらない社会が出来上がってしまったら、本末転倒で心の豊かさどころか、自分たちの生存さえ脅かされてしまう。瞑想は、この世の利便性や生産性を向上させるためではなく。本来の自己の探求と絶対的な心の平安と喜びのためにこそ行われるべきものだと思う。