溺れることのない海へ
昨日の気功教室は、まだ来始めたばかりの人がいたので、「青い海」の気功を初めから丁寧に教えた。もう長く教室に通っている生徒さんたちは、自然と体が動くようになっているので、こうして初めから丁寧に解説しながら教えていると、「知らなかった。初めて聞きました。」と毎回言われる。しかし、それは完全に動きが身についてしまっているので教えたことまで忘れてしまっているのである。でも、それでいいのだ。
なぜなら、「自己なき自己」でラマカント・マハラジが説いていたことを見事に実践しているにすぎないのだから。つまりは、前回書いた「ただ聞きなさい。そして、聞いたことを忘れなさい。私が伝えていること、あなたに話していること、私の言った言葉、それらの背後にある根本現理を知ろうとしなさい。」を実践して、言葉はすっかり忘れ去って、自分の意識の中へ深く入り込んでいるからだ。そのことをラマナカント・マハラジ風に言うとしたら、こんな風になるだろう。
動きを分析してはいけない。
動きは重要ではない。
動きの背後の気の流れに集中しなさい。
動きの背後の意識の大海に身を浸しなさい。
ところで、毎年、夏になると水の事故でたくさんの人が亡くなるニュース目にする。ほんの遊びつもりで泳ぎに行ったり、釣りに行っただけなのに帰らぬ人になってしまった家族の心痛を思うとどうやって立ち直ってゆくのかと心配になってしまう。その点、「青い海」の気功は、イメージの中で意識の大海の中をクジラになったりして、泳ぐだけなので溺れて亡くなる心配はない。安心して意識の大海で遊ぶことができる。
「青い海」の気功の最後は、皆で輪を作りその中に静かな山の湖に映る満月をイメージする。自分の場合は、子供の頃から慣れ親しんだ榛名湖をイメージしている。そして、湖の漣が治まり、満月がよりはっきりと明確に映し出された時に、しだいにその光は湖全体に広がりだし、自分たちを溶かし消し去り、最後に光だけが輝いている状態になる。この段階になるとすべての雑念が消えて、心は静まり清らかなとなる。そして、それこそが、「青い海」の気功が導く、溺れることのない海の姿と言えるだろう。