瞑想をしたくとも雑念が浮かんでしまう人へ
瞑想が自分に必要だとわかっていてもついつい雑念が浮かんでしまうという人は多いのではないだろうか。それは誰にとっても当然のことなのであまり気にする必要はない。普段、大脳皮質を使って、考え事ばかりしているのだから、突然、それをやめようと思っても思い道りにならないのは当たり前だ。むしろ、瞑想が自分にとって必要だと気づいたことをほめるべきだろう。
人間は、動物であり、絶えず動いていることで生きていくことができるのだから、じっと座ったままでいるというのは、初めは苦痛でしかないのかもしれない。だから、動きの中で静寂を求める方がむいている。たとえば、気功などは、単純な動きを繰り返し行うことによって、自分のイメージの世界に遊びながら、しだいに日常的な思考の世界から離れ、自由で開放された世界へ帰ってゆくことができる。
また、単純な言葉や般若心経を繰り返し唱えたりすると、しだいに複雑な思考ができなくなり、唱えながら瞑想状態に入ることができるようになる。はじめから無を求めるのではなく、一つのことに集中することによって、それ以外が無くなってくる方が入りやすいし、分かり易いと思う。
いずれにしても、夜星を見るためには、部屋の電気を消さなければならないように自我という意識の光は消さなければならない。