最新記事

雨の季節、心と体と家の水回りの改善を!

最近は、湿気があって寝ていても大量の汗をかき、汗で重くなった寝間着を、夜起きて何度も着替える日々が続いている。そうしないと身体が冷えてしまって、朝起きると体調不良になってしまう。同じように家の中でも、水回りで修理する所が何カ所がでてきた。初めは、待合室のトイレで使い終わって水を流した後に、なにやらシュ~と水が流れる音がタンクからしてきたので、youtubuの修理動画を見ながら、修理に挑戦してみた。

まず、タンクの底にあるフロートバブルというゴムの栓を交換した。できれば動画に撮っておけば、いいのだが、いつも修理をした後に思い出す。(詳しく知りたい方は、こちらの動画で解説されています。大変助かりました。)次に浮きが浮くと水が止まる仕掛けのポールタップのピストンバルブというのを交換した。そうしたら、水が漏れて流れる音が止み、漏水が収まった。(詳しい解説は、こちらのHPにありました。)最後に、トイレ内の止水栓が、堅くなって回らなくなっていたので、近くのカインズに行って部品を買って来て、交換したら、うまく回るようになった。こちらは、マイナスドライバーで回すタイプの物だった。

同じように二階の流しの止水栓が堅くて回らなくなっていたので、修理した。こちらは、ハンドル式だったので、ハンドルを外し、中のスピンドルというのを取り出し、ねじになっている部分の錆を紙やすりで落とし、シリコングリスをというのを塗って戻したら、うまく回るようになった。次に排水栓から水漏れしていたので、これも取り外し、丁寧に洗ってつけ直した。本当は、パッキンを交換したかったが、残念ながら、カインズにはおいてなかったので、交換できなかった。しかし、洗ってしっかりはめ直したら、水漏れしなくなった。(排水栓については、こちらのHPに詳しくでていますので、参考にしてください。)

そして、久しぶりに浄水器のカートリッジを注文して、交換した。これで家の水回りは、改善しました。身体も家も水分代謝が大切ですね。新型コロナや長い梅雨で、心も身体も落ち込みますが、気の流れも良くしながら頑張りましょう!

 

背骨の柔らかさが若さの秘訣

昨日の気功教室で、80歳になる生徒さんがすきのポーズをするのを見て、改めて継続は力なりと思った。その生徒さんとは、長いつきあいでかれこれ30年ぐらいになるだろうか。下手をすれば、50歳代でもすきのポーズは、できない人の方が多いと思うのだが、そのころから信じてずっと通い続けてくれおかげで、今でもこのポーズができる。背骨をいつまでも柔らかく保つことが、若さの秘訣だ。

年をとると特に背骨を後ろに反ることができなくなってしまう。子供の頃には、ブリッジして歩くことができたような人でも、だんだんと背骨が硬くなって、後ろに曲げられなくなる。だから、若いうちから意識的に背骨を前後に曲げて、柔軟性を保つように心がける必要がある。そのためには、毎日、すきのポーズとブリッジを繰り返し行うと効果的だ。

上のスケルトンの動画は、腰の左右のひねりとすきのポーズとブリッジをおもしろおかしく作ったものです。具体的なことについては、以前Amazonから出した「単純明快 気功ヨガ」の中に書いてありますので、ぜひ、ご一読ください。

 

安眠気功の動画を聞きやすく改善してみました

以前アップしていた安眠気功の動画を修正して、youtubeにアップし直しました。当時は、まだ動画の編集に慣れていなかったので、肝心の音が小さくてよく聞こえていませんでした。今回は、VideostudioX9で音を大きくし、聞き苦しい部分を手直ししてみました。今度の動画の方が、聞きやすいと思いますので、不眠気味で夜なかなか眠れない人は、どうぞ試してみてください。

この動画は、言わば意識の運動で、意識の焦点を移動して、解放し、光と溶け合うことで、緊張して眠れない状態をほぐしてゆきます。

無音の音を聞き、無死の確信に生きる

この間の日曜日は、久しぶりに晴れて気持ちよい青空が広がった。朝から、治療室のベッドの上で瞑想していると、頭の中にシーンという無音の音がしだいに大きく響きだした。普段は、気にならない空間に響く小さな音が、瞑想をして思考と感情の動きが静まるとだんだんと大きな音となって聞こえてくる。だから、無と言ってもそれは何もないとうこを意味するのではなく、何もないということ状態があるのだ。同じように死と言っても、肉体からの解放は意味していても、それで何もかも失われしまうという訳ではない。

その何もないということを、命の元の状態のことを本来の自己と言ったり、純粋な意識と言ったり、仏、臨在と言ったりしている。こうして、毎日、般若心経を唱えたり、瞑想をしたりするのは、その何もないことに対する感受性と高め、無音の音を聞き、無死の命を確信するためだ。今回の水害でも残念ながら、たくさんの命が失われてしまった。また、コロナの感染で世界中では、たくさんの命が失われている。

しかし、日頃からこうした努力をすることで、心構えができていれば、その恐れや苦しみ悲しみも少しは楽になるだろう。そして、行を続けるうちにだんだんその痛みも薄れ、苦悩からも解放される時が来るだろう。だからこそ、日頃から、無音の音を聞き、無死の命を確信することに努めることが大切となる。昨日、久しぶりに来た患者さんが、般若心経を覚えるように毎日頑張っていて、3分の2ぐらいは覚えることができたと教えてくれた。そこまでくれば、もうすぐ全部覚えられますよと言って、この間作った「般若心経の易しい唱え方と覚え方」の動画を教えたあげた。これを見れば、わかりやすいのできっとすぐに全部覚えてくれると思う。そして、こうして般若心経仲間が増えることは、なによりの喜びだ。

この世とは、ム~という響きのスクリーンに投影された三次元のドラマだ。

映画館に行くと、映写機がありフィルムを通過した光がスクリーンに投影されて、無地のスクリーンにドラマが展開する。それと同じようにこの世も、ム~という響きで満たされた三次元の空間に様々のドラマが展開している。しかし、そのすべてのドラマは、やがてはム~という原初の音の響きの中に帰り消えてゆく。普段、人は、目の前の物事しかみていない。特に何かの出来事に巻き込まれると、ますます視野が狭くなり、その状況から意識が離れなくなり、夜寝ても冷や汗が出て眠れなくなり、昼間も鬱々とした自分で過ごすことになる。そして、一晩で何キロも体重が落ちてしまう。

それは、まるで切れた錨の鎖を握って、海の底へ引きずり込まれていくようなものだ。錨は、物質や肉体などのこの世の象徴であり、それを握っているのは、自分自身だ。錨が離れようとすれば、するほどますます強く握りしめて、離さないようにしてしがみつく。するとますます不安と恐れの渦巻く奈落へと落ちてゆく。しかし、もしここでいったん錨から意識を離し、客席から舞台の出来事を眺めような気持ちになることができたならば、錨を握っているのは、自分自身でそれへの執着が、苦しみの原因だということに気がつくことができるだろう。

それに気づいたら、とりあえず錨を強く握っていた手を離す。「放てば手に満てり」という言葉があるように、一時的に喪失感や怒り、悲しみに囚われることもあるが、しだいに自由で解放された自分に気づくようになる。今までの苦しみの原因は、ない物をあると錯覚して間違って執着していたということに心の底からわかる時がくる。それが、般若心経の冒頭の句、「観自在菩薩、行深般若波羅多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄」の意味だ。誰もが、この三次元という透明な空間のスクリーンの上で、架空のドラマを演じているに過ぎないということに気がつけば、戦争や犯罪も憎しみも貧富の差もない、素晴らしい世の中を築くことができるのではないだろうか。

般若心経の易しい覚え方と唱え方

般若心経動画の第三弾がようやく完成しました。一月ほど前にアップした「般若心経の易しい覚え方(前半)」の再生回数がすでに1000回を超えました。やはり、般若心経というものが、日本人には特別まもので関心が高いのだなと感心しました。後半は、15分と長いせいか、さほど再生回数は伸びませんでした。そこで、今回は、できるだけ短く、シンプルに分かり易く解説することにこだわりました。

般若心経は、もっとも簡単でだれにでもすぐにできる気功だと思って、皆さんに勧めています。声をだすと体に中心から生命エネルギーである気がわき上がり、元気になります。この時期になると体熱くなって汗が出てきてしまうので、唱えにくくなってしまうのですが。冬は、体が温まって、唱えるにはもってこいの時期です。

今は、新型コロナ肺炎が流行っていますが、般若心経を唱えて肺から、ウイルスを追い出す気持ちで唱えれば、いいのではないかと思います。心と身体から恐れを追い払いましょう。

 

神仏に祝福されていると感じた一日

この間に日曜日、家族で志賀高原の温泉に行ってみようということで出かけた。あいにくその日に限って、急患が来て朝の9時から10時まで治療することになってしまたので、残念ながらカメラを持って行くのを忘れてしまった。まあ、初めのうちは曇っていたし、それほど良い天気には恵まれないだろうと思っていたので、それでもよかった。草津に着いて白根を抜けようとした所、火山活動の影響で志賀高原まで抜けられないことがわかった。それではということで、久しぶりに野反湖に行くことにした。

野反湖に向かう途中、たくさんの車とすれ違った。行きの車も途中から4台ほどつながった。これほど野反湖が混んでいるのは、始めただった。山を登っている時は、曇っていたのだが、頂上に近づくにしたがって、しだいに晴れ間がのぞいてきた。そして、駐車場に車を止めて、野反湖を見るとまるで南の国の海のようにマリンブルーの混じる見事な美しさだった。すかさずスマホで撮ったのだが、残念ながら、あの美しさは再現されていない。スマホというのは、何でもできるがどこにも足りない。この時は、カメラを持ってこられなかったことを悔やんだ。家族で湖畔のベンチで、お袋が作ってくれたおにぎりを食べ終わる頃には、空は暗雲に覆われてすっかり湖の美しさも失われていた。

その後、山を下りると四万温泉に向かった。コロナ騒ぎでしばらく休みになっていたので、久しぶりの日帰り温泉である。この時も車で向かっている時は、曇りだったのだが、四万に到着すると晴れ間がのぞいていた。久しぶりの四万の熱いお湯で、コロナ疲れを洗い流し、渋川に向かった。帰り道は、小野上の所から新しくできた上信道に乗った。出口付近で渋滞に巻き込まれたが、渋川も晴れていた。その日は、行く先々が晴れていて、神仏に祝福さてたような一日だった。

 

あなたが先にブッタガヤ

前回書いた師匠の中で、上江洲先生とLama・Oleのことが書けなかったので、ここに付け足したいと思います。上江洲先生は、沖縄出身の覚者で、10年ぐらい前から、桐生の会に参加しました。以前は、毎月のように桐生に来てくれていたので、毎月、楽しみして通っていました。アンマの場合は、インド人であり、日本に来ても、インドに行ってもいつも大勢の人たちに囲まれていたので、個人的に質問することができませんでした。その点、上江洲先生は、日本人でもあるし、通い始めた頃は、そほど大勢の人も来ていなかったので、光話会の前に個人的にもいろいろと質問することができました。また何よりもその波動が細かく優しいので、会場にいるだけで、深い瞑想状態に入ることができました。今では、桐生の会もなくなり、山梨の会に年に数回参加できるだけになってしまいました。

そして、ラマ・オレは、デンマーク人で、チベット仏教を学んだ方です。10年以上前に東京で会を開いてくれたので、何年か通いました。今でも、ヨーロッパを中心に世界中を飛び回り、チベット仏教を普及している方です。やはり、かなりの悟りに達しているのでしょうが、非常に付き合いのいい方で、一緒に居酒屋に行って飲みながら話したり、信者のロシア人の家に行って遅くまで飲み話すことができました。その時に、こんな自作のジョークを言ってみたのですが、残念ながら、ほとんどその意味が伝わらなかったようで、笑ってもらうことはできませんでした。

むかしあるところのとある菩提樹のそばでふたりの男が口論していた。

ひとりは金髪でろんげの白人風の男で、もうひとりはアイパーをかけた

インド人であった。

白人:人は、左の頬を打たれたら右の頬もさしだせねばならない。

インド人:そんなことはない、右とか左とかかたよった考え方はいけま

せん。あくまで真ん中中庸でなければいけません。

すると突然、白人はインド人の右頬をしたたかにうちすえた。

思わず、インド人も白人の左の頬をうちかえしてしまった。

白人:OH MY GOD!What are you doing?

インド人:なにをするんだとはこっちのせりふ、あんたが先に「ブッタ

ガヤ」

その後、そこは聖地として世界中から大勢の人がくるようになったとか。

めでたしめでたし

すべては夢のまた夢

死の谷を越える道

若いうちは、いくつもの可能性に満ちた道が、自分たちの前に無限に広がっているように見えた。しかし、年を取ってくると、その道が次第に狭まり、ある一つの道しか残されていないことに気づくようになる。それは、死の谷に落ちるかあるいは、それを超える道だ。自分の場合は、子供の頃からこのことがわかっていた、子供の頃、父親が運転する車の後部座席で星空を見ながら、この人生もあっとい間に終わってしまう短いものだなと思った。

そして、子供の頃から、渡り棒をしながら、死ぬまでにこの渡り棒を渡りきることができるのだろうかと考えていた。つまりは、彼岸へとつながる渡り棒のことだ。中学生の頃、夜、ベッドの上で頭の中でお経が聞こえてきた。不思議な感じで、つるつるのお坊さんの頭が浮かんできた。しかし、なんだか皆同じに見えて、出家してもつまらいように思えた。大学に入り、能楽研究会に入った。学部は、法学部だったが、邦を楽しむ方に熱心になった。つまりは、法学とは、方角が違ってしまった。そして、一年、留年すると赤坂にある転形劇場という劇団の研究生になった。友達に紹介されて行った公演を風邪を引いて見に行って、見終わる頃には、その劇団の熱気で、風がすっかり治ってしまっていたからだ。その劇団の演出家は、太田省吾さんという素晴らしい人だった。今でも、サティの曲に乗って、水の駅という無言劇の舞台稽古の時、彼の吸うたばこの煙がゆったりと揺れながら、螺旋を描きゆったりと上昇していたのを思いだす。

劇団の研究生と大学を卒業するといったん郷里の渋川に戻って、実家の酒屋を手伝った。そして、バイクで屋久島まで旅に出た。その時は出家して修行するかどうか迷っていた。旅の最後清水のユースで館山で太極拳を教えている山口博永老師に電話して、これから行ってもいいかと尋ねた。突然の連絡だったので、断られたので、いったん実家に戻り、鍼灸学校に入ることにして、再び、東京に出てきた。そして、館山に禅と太極拳を学びに行きながら、渋谷の鍼の専門学校に通った。指圧は、金町の鈴木先生の所へ、経絡指圧を習いに通い、鍼は、我孫子の横田観風先生の無為塾へと習いに通った。特に無為塾には、インドへヨガを習いに行った人や様々なユニークな先輩方がいて刺激的だった。その後は、無償の愛で世界中をハグしてまわるインドの女性の聖者のアンマを知り、彼女のダルシャンを受けに東京の会に10年通った。最後は、インドのアンマのアシュラムまで行ってきた。そういえば、博永師とは、太極拳を習いに中国河南省の陳家溝まで行き、比較的近くにあった少林寺へも行き、ダルマ大使が座禅した洞窟まで行ってきた。

実生活では、一浪して一留、そして、バツイチとあまりうまくいっているとは言えないが、本当の道に関しては、いつも彼岸に渡ることを意識して生きてきた。すでに60歳を過ぎて人生の起承転結も最後の20年、結果を残すべき時に来ている。死ぬまで果たしてこの渡り棒を渡りきることができるのかどうか、これからが踏ん張りどころである。そして、いろいろな聖者に会い、いろいろな修行もしてきたが、最後に般若心経に出会い、日々、動画を作ったり唱えたりしている。簡単でだれにでもできて奥が深い、多くの人とこの橋を渡れたらと思う。

般若心経のこの最後の言葉は、

羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶 (行こう、行こう、この橋を渡りきって 彼岸に至り悟りを開こうと言っているように思える。)

 

 

 

般若心経を青空へ2

今度は、動画に般若心経を貼り付けて作ってみました。Videosutadiox9というソフトで作っていますが、悪戦苦闘しながら、だんだん慣れて来ました。動画を作り始めて気がついたのは、意外と今まで動画を撮ってこなかったということです。写真は、かなり撮っているのですが。やはり、動画を撮ることも大切だと今回改めて認識しました。

まだまだ、お見苦しい点があるとは思いますが、どうぞ、ご覧ください。